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【新・農業経営者ルポ】
原発事故をきっかけに、再び風土とともに歩み出した農村経営者
- なかのきのこ園 社長 飯泉孝司
- 第107回 2013年05月20日
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原木を通して全国に広がる福島の悲しみ
山が泣いているようだった。
阿武隈山系にある福島県田村市の旧都路村。ここは国内最大の原木の生産地である。ただ、今となっては、「そうであった」と言うべきなのかもしれない。
旧都路村では、専門の集団が薪炭材としてクヌギやナラを植林してきた。それらの需要が戦後の燃料革命で減っていくのに合わせ、キノコの原木として供給を開始する。
やがて、県境を越えて全国に出荷される原木の4割を、旧都路村を中心とする福島県産が占めるまでに至る。それが2011年3月に東日本大震災に伴って起きた東京電力の原発事故をきっかけに、樹も土壌も汚染され、人の手が入らない山となった。
筆者が初めて訪れたのは同年10月。旧都路村の一部が福島第一原発から20km圏内の「警戒区域」(当時)に当たるため、そこから先への立ち入りを厳しく制限するバリケードがまだ張られていた時である。
周囲にある里山を向こうに望むと、木々の頭がきれいにそろっていた。ふくしま中央森林組合の吉田昭一参事に案内してもらって里山に足を踏み入れれば、静寂の中で木々が不気味なほどに美しく、整然として立っている。いずれの幹もほぼ同じような太さ。それも緻密に計算された間隔で生えているのだった。
福島産の原木が望まれるのは、シイタケの生産者が手で扱うのにちょうど良い太さや重さであること。それから真っ直ぐなので、機械で植菌するのに向いている。つまり、大規模農家からの需要が強い。
原木を供給する里山づくりの歴史とともに歩んできた吉田が、とても悔しそうにこぼした。
「これだけの山をつくるのに40年以上かかった。これを取り戻すのには、それ以上の年月がかかるということ」
海原のように広がる山々。その一角に、これだけ人の管理が行き届いているのは、職人の技と心が込められているからだと感じた。だからこそ、放射能に汚染されてしまったために、原木に利用されることなく伐採される運命の木々、そして里山そのものが悲しんでいるように思えた。
その悲しみや痛みは広く全国に及ぶ。福島の里山は原木を通して全国とつながっている。なかでも茨城県つくば市にあって、原木シイタケの生産規模で国内最大級の(有)なかのきのこ園は、福島から最も恩恵を受けてきた農業経営体といえるだろう。ピーク時で年間に23万本を植菌した、そのほぼすべての原木を福島に頼ってきたからだ。
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