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住めば都、耕せば楽園

肥沃な土壌を世界遺産に!



わかる人にはわかるものを価値として認めること

そう、富士山が世界遺産に登録されるとの話で静岡は最高に盛り上がっているが、富士山が世界遺産であり、肥沃な土壌が世界遺産でない理由はどこにあろうか。

「あんた頭おかしいんじゃないの?」とまた嫁に言われそうだが、屁理屈を言わせてほしい。別に富士山が世界遺産に相応しくないと言っているわけではなくて、自然の価値というものは誰でもすぐ見てわかるものだったらいいだろう。しかし、わからないものだったらどうするかを考えないといけないのではないかと思うのだ。目立たないイコール価値がないではなく、見る人が見れば価値がある、ということも視野に入れていくことがこれからの時代において大切なのではないかと思う。
農業者は農地ひとつひとつ能力がはっきり違うことをよく知っている。良い土地がまだ耕作放棄されるのであればまだいい。いくらでも取り戻せる。でも、そこに何か建ってしまったら取り戻すことはできない。そういった能力を持つ田畑を杓子定規的に「地目=田畑」と捉える貧相な思考をやめ、自然の創った価値を多面的に見られるアタマ、体制へと全体的に変えていく必要がある。

愚かな僕たちが今、認識しなきゃならんことは「富士山」をただの膨大な砂の山と捉え、ゴルフ場のバンカー用に売却するためにヨダレ垂らしながらショベルカーでエッチラホッチラ掘り崩しているのと同じことなんだと思っている。

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