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女の視点で見る農業経営

休暇や報酬は家族だからこそ明確に

【夫とともに農地を継承】

 喜子さんは、昭和58年から「家の光」の家計簿をつけはじめた。これには作業日誌もついていたから、それをきっかけに経営全体を把握するようになった。次第に「経営者」としての意識が芽生えてきたのもこの頃だ。

 ヤマトイモの栽培が本格化して作付面積が拡大するに従い、作柄はもちろん、経営全般についても、昇さんと話し合うようになった。とくに肥料散布は喜子さんの担当なので、農協の担当者はいつも夫婦二人を相手に話にくる。今年はどの肥料を使おう。包装用のラミネートのサイズは? 仕入量は? なんでも話し合って決めている。 

「お金の出し入れは主人。計算は私の担当。二人のコンビはバッチリ」

 と二ッコリ。家族経営ではあるが、会社にたとえるなら夫が社長で妻が専務。どちらを欠いても成り立たない。

 さて、喜子さんが昇さんに感謝していることがある。 

「昭和59年に義父が亡くなった折、私も夫と一緒に相続して、農地の約半分は私名義になりました。義父と私が養子縁組をして、お義父さんからストレートに受け継いだんです。それを夫も快く承諾してくれたんです」

 法律的には、農地は自動的に後継者とその兄弟が相続するが、お義父さんは、先祖代々の上地を、実際に耕作している人間、つまり昇さんと喜子さんにに残したいと考えてくれたのだ。

 また栗栖さん夫妻の間では、休日は自己申告制、報酬は年俸制と決めている。5年ほど前、干潟のタ市へ野菜やヤマトイモで作った”ホワイトきんとん”などを売りに出た時、初めて自分名義の銀行口座を作った。それから年に1度、その年の作柄や年収に応じた金額が振り込まれている。 

「生活費は必要に応じて主人に請求します。年俸はそれとは別。いい年はたくさん、苦しい年はそれなりに。金額よりも自分のお金だってことが嬉しいですよ。自分名義の車も持てたし」

 自分の農地に自分の車、自分の口座に自分のお金、自分の休み……栗栖家のやり方は、他の農家の女性たちにとって、羨望の的である。 

「何かの集まりで、この話をすると、みんな『エーッ!』って驚くんですよ」


【愚痴ではなく希望を言う】

 女性の社会進出や雇用の機会均等が叫ばれて久しいが、農家の妻の立場は依然として不安定だ。労働の報酬や、経営者としての立場は、義父や夫の判断に左右される。いまだに自分から申告するのははばかられるという人がほとんど。帳簿上は”妻の取り分”となっていても、実際にはそれが丸ごと家計費その他に回され、自由にできない人も多い。

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