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江刺の稲

新シリーズ“水田農業イノベーション”開始

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第206回 2013年06月14日

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先月号の特集タイトルの通り、故・勝部徳太郎氏が言う「1反歩で喰えない奴は何百町歩やっても喰えないのだ」という言葉は誠に農業経営の真実を言い得ている。 終戦直後、2・4haの耕作規模だった徳太郎氏は、畑にイチゴを作り、大いに稼いだ。しかし数年後、戦地からの復員者が増えてくると、皆がやるからと、もうかっているイチゴをやめてしまった。食料増産の時代にダリアの花と球根を作った。 「人々が飢えのおびえから解放されたら、それまでイモを植えていた庭に花を植えるようになる」という時代に対する洞察からだ。

現在170haを超える勝部農場も最初は決して規模の大きな農家ではなかった。時代の人と社会を見つめればこそ、イチゴやダリアに取り組んで成功した。さらに、13ha程度だった昭和30年代半ばに日本に輸入が始まったばかりの30馬力級トラクタを家一軒分の投資をして導入。その翌年にはさらに50馬力級のトラクタと畑作作業機を導入して、賃耕でその後の規模拡大の原資を得る。
筆者が出会った今から約30年ほど前でも、すでに100haをゆうに超える規模で麦の単作経営に取り組んでいた徳太郎氏と現当主の征矢氏。
その当時、なぜ輪作をしないのかと聞いたら、「連作障害という言葉があるが、経営には輪作障害というものがある。輪作するには、その作物分の機械投資が必要になるが。単作ならそれは要らない。そんな金があるのなら、湿潤な日本の気候でも麦を連作できる畑を作ることに金をつぎ込むのだよ」と征矢氏は笑って答えた。でも、誤解すべきではない。勝部農場の圃場改良はすべて自前の投資。しかも、そのレベルは基盤整備事業で行なわれる水準をはるかに超えたものだ。征矢氏は、「自己負担がいくら小さいからといって、そんなものを待っていたら損すると考えられないほうが経営者としておかしいよ」と話す。

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