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江刺の稲

改めて「問うべきは我より他に無し」

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第15回 1996年02月01日

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 我が国の農業界は今、西側国家群に対する崩壊前夜の社会主義の国々、あるいは自民党に対するかつての社会党のイデオロギー的破綻になぞらえてもよい事態にたち至っていると思える。我々はそんな混乱の中でも自らを守り、厳しい環境の中で誇りある立場を維持できるのか。呑気に農業界の現在を批判しながらも、なお農業に落とされる利権や保護のおこぼれを期待している「弱さ」を自らの中に見つけることはないか。誰しも楽して転がり込む利益を保証する利権に執着しがちだ。しかし安楽のなかで弱体化していき、活力や創造力が失われていくのは人の一生も経営も同様ではないのだろうか。

 問うべきは我々一人ひとりなのだ。我々自身のために。これまでの安楽な農業界に慣れ親しんでしまった者として己の危うさこそを自問すべきではないか。

 行政も団体も、関連企業、そして農家もまた、これまでの既得利権を守ることに汲々とする時代は終わってしまったのだ。農業に対する団体組織としての存在理由を問い、顧客に必要とされる企業たり得るかを問えぬ限り、それらの団体、企業の未来は暗いものにならざるを得ない。農家も自立更生の精神を持たぬものは取り残されていくだろう。

 むしろ真摯にそれを問い、団体成立の根拠となった本来の受益者や、顧客の利益を見つめることの中にしか未来はないのではないか。

 今までの常識が通用しなくなる歴史の転換点に我々は立っているのだ。すでに有効な答えを出す力を失ってしまったこれまでの物事の見方や考え方、あるいは問うべき言葉に代わる、新しい思考の枠組みを自ら創り上げていく勇気と、未来へ向かう夢こそが必要なのである。

 混乱は避けられないだろう。しかし、一人ひとりの自助努力と夢が農業の創造的未来に結びついていくのだ。

 未来を明るくする夢をこそ見ようではないか。自尊ではなく自負心において。小さくとも未来への夢と次世代への責任を自覚する経営者として、誇りある職業人として。

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