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新・農業経営者ルポ

北の大地にマムの新たな可能性を見出した渥美半島の農業者

日本の農業をけん引してきた愛知県田原市の人々が海外にも生産拠点を求める中、(有)ジャパンフラワードリーム(以下、JFD)代表の藤目方敏(55)は周囲のそんな動向を意に介す様子はまったくない。日本人に向けて菊を供給する以上、「消費地に産地をつくるのがベスト」というのが持論だからだ。顧客本位を貫くことで菊の常識を打ち破ってきた男は、その信条を胸に経営の次なる可能性を求めて北の大地に向かった。撮影・取材・文/窪田新之助


「菊」ではなく「マム」に


今回の主人公に会うのは昨年9月以来2度目である。当時、私は東三河地方の菊をテーマとする連載企画に取り掛かっていた。消費の減少と重油の高騰に加え、輸入の増加という三重苦に対し、生産者たちはどう立ち向かおうとしているのか。その群像を描こうと思い立ち、田原市のある渥美半島を訪れた。
その中で藤目を取材することにしたのは、彼の周囲にいる人々から強く押されたためである。菊の産地の将来について調べるのであれば彼の話を聞かなければ見えてこないことがある、と。それほどの人物なら書く材料を豊富に得られるだろう。そんなつもりで会ったが、結局、記事にすることはなかった。
「うちの経営は他とはまったく違う。扱うなら単独で取り上げてもらいたい」
予定していた連載企画では、彼のこともまた他の生産者が抱える悩みや問題と一括りにして書くことにしていた。それに対しての先の言葉である。
ただし、冷たくつっぱねられたわけではない。むしろ聞けば時間をかけて、丁寧に何でも教えてくれる。彼がたどってきた道のりを伺う中で、それまでに対話してきた菊の生産者たちが見失っている大切なことがあると気づくようになった。そこで今回のルポで9カ月ぶりに訪ねることにしたのだ。
これからその人物を描くに当たって、一点、断っておくことがある。それは「菊」を「マム」と書くこと。日本で売っている菊はつぼみの状態。その地味な様子が仏花に向くからだろう。
一方、欧米で菊といえば満開咲きで、人々の生活を彩る花として日常に溶け込んでいる。JFDは日本的な菊だけでなく、姿形や彩りも豊かな欧米的な菊も作っている。同社のホームページをぜひ見てもらいたい。そこには生命の喜びが溢れるような花々を写真とともに紹介している。そして次のように記述する。

JFDでは、『菊=マム』と称し、呼び方を変える事で、『菊』に対する日本人のイメージを変えよとチャレンジしています。皆様は、『菊』と聞くと、どんなイメージですか?日本人のイメージとして「墓花」「仏花」「葬式花」が大半を占めます。その反対に、ヨーロッパ地方での『マム』のイメージは、「お祝いの花束」「誕生日の贈り物」と日本とは真逆のイメージである事がデータでわかっています。

藤目が欧米人よろしく「マム」と呼ぶのは、その言葉とともに「マム=日常的な花」という世界の認識を浸透させたいからだ。先に挙げたような菊の産地が直面している諸問題への対処の仕方もまた、常識にとらわれない彼のこうした姿勢にヒントがあるはずだ。だから、彼のことを語るうえで、私も「菊」ではなく「マム」という言葉を使うことにする。

本来の契約栽培の必要性

6月末、田原市にあるJFDの事務所で再会した経営者は変わらずに眼が爛々としていた。おそらく北海道新ひだか町で始めたばかりのマムづくりに新たな夢を描いているからだろう。
北海道で2年前からスプレーマムを試験的に作り始めたのは、道内で最大手の生花店からの依頼があったため。マムの需要が盛り上がるのは年5回の彼岸や盆の時期にあたる。これを国内で揃えようとすると、商品や規格の統一性に欠けたり必要な数量を満たせなかったりする。だから、その生花店はこれまで彼岸や盆ごとに毎回数十万本のスプレーマムを輸入品に頼ってきた。
ただ、輸入するのは大きなリスクが伴う。たとえば植物検疫にひっかかって燻蒸処理する義務を負えば、ロットごと商品としての価値がなくなる。国産であればこうした問題は起こりえないため、生花店が道内での契約栽培の話を持ちかけてきた。JFDにとっても北海道550万人の市場規模は魅力だった。いよいよ8月から1000坪のハウスで商業栽培に乗り出す。
契約栽培といえばよく耳にするが、藤目によれば日本の農業界には存在しないという。どういう意味だろうか。
「契約栽培とよく言うがそれは言葉が一人歩きしているだけで、そこに契約書は存在しない。市場関係者に聞いてごらん、実態は口約束だから。何月何日までに荷物がない場合にはその損害を補償してくださいと言われれば、絶対に産地は契約のハンコを押さないから。だからお客さんは約束した数量が届かなくても泣き寝入りするしかない。それじゃビジネスじゃない」
「でも、農業界ではそれが当たり前ですよね。どこからそうした発想が出てきたんですか」と問うと、「いや、だってそれがビジネスだから。企業がやっていることと同じだろ」と、何を言っているんだという顔をされた。もちろん藤目が正しい。しかし、農業界の実態は逆である。こうあっさりと言い切れるところに、農業経営者としての彼の凄味があるように感じた。

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