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女化通信

竹山を続けるということ

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第3回 1996年02月01日

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高松さんはよく「本当に経営者のやるべき仕事とは、作物を作ることではなく畑を作ることだ」という。そんな高松さんの経営観をもっともよく表現しているのは”竹山”であるかもしれない。
高松さんはよく「本当に経営者のやるべき仕事とは、作物を作ることではなく畑を作ることだ」という。そんな高松さんの経営観をもっともよく表現しているのは”竹山”であるかもしれない。


高松さんの竹山の歴史


 高松さんの竹山は、春先の現金収入を得る手段として昭和44年に自宅脇の60aの畑に新植されたものだ。かつては農家にとって春のボーナスのような竹の子であったが、近年は高齢化と中国産などの輸人物に押されて産地は衰退し、高松さんと同じ頃に植えられた近くの竹林のほとんどは放棄され、それこそ竹薮になっている。

 しかし、高松さんは竹山を管理し続けた。竹の子の生産と竹山を利用した地域活動によって林野庁長官賞をとったこともある。竹山を通して農外の知人たちに伝えたいこともあった。もちろん収益がなくて続けられるわけはない。しかし、ここまできたのはそれだけではなかった。かつて京都で見た、日本一といわれる竹山がいつも高松さんの頭にあった。

 そこで見たものは、ただ単に高品質の竹の子を栽培する技術だけではなかった。採れる竹の子の品質はもとより、そこには竹の子の旬を待ち望む人々かおり、調理する技術がおり、まさに食文化があった。そして竹山の景観の価値を認め、背景にある竹を利用する技術から食文化に至るまで、そこには高松さんの竹の子栽培とは格違いの”歴史”を見たような気がした。作物を求める文化があってこそ栽培作物は守られるものなのだ。

 その時の体験は、竹の子栽培者としてだけでなく、農業経営者としての高松さんにとっても目を覚まされるような体験であった。 

「最高のものを見る習慣を持つべきです。人は常に素晴らしいもの、最高のものを見ることで目標が生まれ、努力ができるようになる。周りとの比較でしか自分を見ない愚かさや、おごりの中にいる自分自身も見えてくる」

 と高松さんが言うのは、その体験に発しているものらしい。それは、平均値とではなく、最高のものと比べた己の位置を知り、また自分にしかないものを目指すということではないか。

 高松さんは、かつて見た京都の竹山を目指した。そして高松さんだけのものを求めた。ただ竹の子を生産するだけでなく、自分の住む場所で自分なりの”竹の文化”を作ろうと思ったのだろう。食材としての竹の子、そして竹山を育んできた高松求の”竹の文化”を作ろうとしたのではないか。

 丹精込めて管理した竹山に人を呼び、竹の子掘りを体験させた。春の一瞬の収穫のために一年間の竹山の管理があることを人々に、子供たちに語り伝えてきた。その結果は、毎年春になると贈答品としての竹の子の注文をしてくる人、社員教育の場に高松さんの竹山を、と頼んでくる人の輪につながっていった。

 長い間、高松さんは理想の竹山を作るために様々なことをしてきた。それは作物としての竹の子の品質を高めるためのものであるとともに、高松さんの農業経営者としての”作品”である竹山そのものを完成させる仕事でもあったのかもしれない。

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