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新・農業経営者ルポ

ファーミング・エンターテイメイト

 福祉団体の仕事をしながらも、家の農業は手伝っていた。創業の準備である。90年に大阪であった花博の時、花の卸から花壇花を作って出さないかと誘われた。それが花生産に取り組むきっかけだった。しかし、花の「生産農家」になることは小川の目指す目標ではなかった。

 本格的に農業に取り組み始めたのは95年からである。農業を始めるにあたり、父から経営移譲した。小川は、今でも地域で一番若い「農業後継者」ということになっているが、自らは農業後継者だという自覚は無い。父の生産した農産物を売る「農業」とは違う。マーケットから逆算して自ら販売する商品を作る農業の「会社」を創業したのである。


考えを実証したシクラメンの生産販売

 小川が農業を始めた当初、父親はブドウを作っていた。そのブドウ園でのブドウ狩りはシーズンになると英田農園の一つの人気商品になっている。しかし、小川はブドウには手を出さなかった。取り組んだのはシクラメンの生産・直売だった。生産技術を学ぶために各地の生産者に学んだ。福祉団体職員との兼業の時代だ。技術だけでなく経営者として優れたシクラメン農家から学ぶことも多かった。

 やがてシクラメン栽培に自信をつけて、いよいよ事業の開始である。最初から市場に頼るつもりはなかった。小川が始める以前から母親がブドウや野菜を売るために無人の直売所を作っていた。お金を入れる箱と品物を並べただけの小屋である。それを有人の店舗にした。そこは単なるお店ではなく、小川の農場をお客さんに開放するという形をとり、お客さんを農場に迎え入れた。販売の主体はマリーゴールドなどの花壇花そしてシクラメンである。

 最初の直売所のある旧・英田町の農場は国道沿いではあるが、中山間の辺鄙な場所である。始めた当初には、「人口3700人の英田町で花屋をやって成立するのか?」と言われた。はじめから地元の人を商売の対称にはしていなかった。むしろ、小川はそのロケーションが望ましいことだと考えた。

 そんな辺鄙なところであればこそ、車で通りかかるたびに見かけるきれいな花の咲く店と農園が目立つのだ。それゆえに様々なメディアが紹介してくれた。そして、客を裏切らない品物。一度買ってくれたお客さんは品質で評価してくれた。小川の狙い通りだった。野菜ではなく花を扱う直売所であることでコンセプトと客層が選べた。

 そんな形で始めた、販売すること、顧客との関係から逆算する農業経営を小川はこう語る。

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