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北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

20歳のときに金髪・ブルーアイの10歳のオージーから教わったこと

「友達だから彼らを理解できる」 1979年当時のオーストラリア実習は、雨が降らなければ朝7時から夕方6時まで土日関係なしで働くことができ、辛いと思ったことは一度もなかった。そして2週間に1日程度、雨が降るときは完全な休みになる。
雨模様のある日に朝からボーとしていると、1月の夏休み中だった、ホスト・ファミリーの長男タイトと二男マンソンがスゴロクのような模様の紙を使って戦争物のGIジョー・ゲームをやっていた。高さ5くらいの第二次大戦スタイルの白人兵士が高さ4くらいのアジア人っぽい兵士と戦争ごっこをやっているのだ。ダイニングのど真ん中を占領して兄弟のどちらがGIジョーになるのかケンカしている様子を見ながら、GIジョーが星条旗を付けた米国の兵士だとすぐに理解できたが、少し背の低い兵士は誰なのか分からなかったので2人に聞いてみた。
10歳になる兄のタイトは間髪を入れず、「あーこいつら、ジャプだよ」と答えた。ナ、なに? ジャ、ジャプ? 当時でも放送禁止用語だった言葉を10歳の金髪・ブルーアイのオージー(オーストラリア人)のガキが日本人のまだヒールになる前の20歳のプリティー・ミヤイさまに平然と言い放ったその態度に驚いた。
私は「もう戦争は終わったし、ジャプの表現はまずいんじゃないのか? それに私も日本人だ、私にapologize(謝罪)しなさい」と諭した。するとタイトは「だって学校でもみんな使っているし、先生も言っていたよ」と返した。それに援護射撃を加えるかのように8歳の弟マンソンは「apologizeってどういう意味?」と聞き出す始末。私はこいつらの教育水準はどうなっているのだと訝しく思ったが、ガキとケンカしても得るものがないので、「ところでオーストラリア兵はいないのか?」と聞いてみた。その答えにまた驚いてしまった。
「だって米国とオーストラリアは友達だもん。だから僕たちは彼らのことを理解できるし、米国の兵士を応援することはオーストラリアの兵士を応援することと同じなのさ」

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