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豊かな農村の暮らし
三浦夫婦がもたらした新しい風を、仲間たちはどう受け止めているのだろうか。五ケ谷営農協議会の会長である、高校で国語を教えている阪本慎治(51)はこう語る。
「野菜の作り方はときどき、僕の子どもに教わることもあるんです。どうやらうちの母に畑で習ったみたいで、僕よりも詳しいことがあるんですね。この辺りでもおじいちゃん、おばあちゃんが野菜を作っているけど、彼らは大金なんか求めてないんですよ。小遣いを稼ぐだけで十分。それと併せて、誰かのために役立っていることに生きがいを感じているんです。この地域を良くするにはまだまだやらなあかんことはあるけど、とにかく三浦君が拠点を作ってくれたからね。この村は少しずつ変わっていきますよ」
同じく協議会とNPO法人のメンバーである稲野友泉(59)は、大手電機メーカーを早期退職した経歴を持ち、プロジェクトの一環で粟やカボチャを作るため、日々忙しい。
「サラリーマンの中には退職後にやることがなくなってしまう人は多いけど、僕なんかやることがありすぎて困っている(笑)。でも、ありがたことだよね。それに自分が作ったものが、レストランで食材となっ
て喜んでもらえるんだから、こんな嬉しいことはないよ」
三浦夫婦とともに五ケ谷地区を車で回って印象的だったのは、小さな面積ながらも、粟や伝統野菜が植えてあることだった。いずれもレストランで提供するために栽培しているものだ。それだけ種とともに、人と人のつながりが広がっているのだと思う。地区の人たちが共通の目的を持って仕事をしていることに、人間らしい豊かな暮らしを感じる。
雅之は、かつての日本の農村が貧しかったとは考えていない。与えられた風土の中で、我々の先祖は土地に合った作物を受け継ぎ、それを育て、食べてきた。科学が発達していない時代に自然の風雪に耐えながら生きることは困難だったかもしれないが、それだからこそ人々は助け合いながら生き、生かされてきた。
三浦夫婦は今、そうした暮らしを現代的な形でよみがえらせようとしている。かつて抱いた日本の福祉制度に感じた疑問。それに対する答えは、確かに彼らの目の前に現れつつあるようだ。 (文中敬称略)
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三浦雅之・陽子 ミウラマサユキ・ヨウコ
(株)粟
みうら・まさゆき(1970年、京都府舞鶴市出身)、みうら・ようこ(1968年、奈良県東吉野村出身)1998年から奈良市近郊の中山間地である清澄の里をメインフィールドに奈良県内の在来作物の調査研究、栽培保存に取り組む。02年に大和伝統野菜を食材とした農家レストラン清澄の里「粟」を、そして09年には奈良町に姉妹店となる粟ならまち店をオープン。株式会社粟、NPO法人清澄の村、五ヶ谷営農協議会を連携共同させた六次産業によるソーシャルビジネス「project粟」を展開している。
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