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特集

農業、いまどきの女たちが考えること


これを機に無農薬・無肥料の野菜づくりを始める。そう思ったのは、かつて子どもが喘息持ちだったからだ。医者からもらう薬を飲んでも治らず、挙句の果てに肺炎になった。その時、「ビリビリと雷が落ちたような気がした。自分の力で何とかしてあげないといけないと覚悟しました」という。それで食事療法で子どもの喘息を治した経験がある。だから同じように苦しむ人たちに野菜を作ってあげたいと思った。
土地も機械もない、まさしく裸一貫で始めた農業。懸命に土と向き合う姿を見て、助けてくれる人たちがいた。ある人は自分の飲食店で野菜を店内でずっと扱い続けてくれた。別の人は食べ物を持ってきてくれた。そうした応援もあって、今では宅配のほか、レストランにも卸す。さばき切れないほどに、注文が入りこんでいる。
高校を卒業したばかりの長男は先日、中国で起業をするために旅立った。かつていじめを受けた高校生の娘も高校で生徒会を務めたほか、英国留学を希望している。苦難の道を歩んできた母親の背中を見て、子どもたちも立ち直った。直井は「子どもたちは怖いものがなくなったようです。とてもはつらつとしていますよ」と語る。
直井にとって農業は、誰に頼まれるでもなく、生きてきた結果たどり着いた職業だった。逃げることなく人生と対峙した時、向こうから農業はやってきた。そこには無限の可能性があると感じている。
茅ケ崎の街を望む高台でいま、経営の規模を広げようとしている。7年間放棄された2100のハウスを借り受け、雑草が生い茂る中で一から開墾を始めた。実現すれば、ハウスで無農薬・無肥料で野菜づくりをするのは全国初になるという。
この更地がそんな場所に変わった時の様子を想像してみた。気持ちのいい風が吹き抜ける。直井は言う。
「ここは本当に素晴らしい場所だと思いませんか。成功すれば、きっと多くの人が見学にやって来ますよ」
女農業道はまだまだ始まったばかりである。

【ケース3農業のイメージを変えたい】

就農3年目の22歳は農業にこびりついた世間のイメージを変えることを目指している。それも、まずは見かけから。同年代の同性と同じように、仕事中でも当たり前に化粧をしたり、装飾品を身につけたりする。そんな自分の姿を見てくれる人たちに、農業は女でもできるんだ、格好良い職業なんだと認識を改めてもらいたい。そんな思いを日々抱きながら仕事と向き合っている。
琵琶湖の東岸、滋賀県野洲市に広がる水田地帯。中道農園の代表・中道唯幸(55)は、家族や従業員とともに36haでコメを作っている。将来、その経営を引き継ぐつもりにしているのが長女の菜穂(22)だ。

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