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農業経営者ルポ

描いた夢、作る器にあわせて人は育つ

 まったく白紙で始めた水耕栽培。技術資料を読んでも、それだけではうまくいくわけもない。

 「それまで堆肥作って経験に頼って百姓していた人間が水耕するわけですから。 10年は試行錯誤の連続でした」と須藤さんは笑う。

 それでも須藤さんは、昭和肘年の最初のハウス建設から44年、47年、51年とぼぼ3年おきに500坪ずつハウスを増設し、規模拡大を進めた。その後にも小規模な増設や施設改造を行ない、現在では自宅農園の温室が合計3600坪。さらに平成元年には須藤さんだけでなく二人の人との共同出資で資本金600万円の (有)レークファーム亀山という農業生産法人を自宅農場から車で15分の場所に設立している。そこは行政の事業にものった 4500坪の温室である。若い時の失敗の経験をいかして、須藤さんが見込んだ非農家出身の青年を代表者にしてその経営管理をまかせている。

 現在の生産の割合はネギが1000坪、ミツバが1700坪、10種類以上のハーブを900坪弱という配分。法人経営の温室はサラダ菜の専門ハウスにしている。


技術投資が拡大を可能にした


 こうして規模拡大をしてきた須藤さんであるが、これまでで一番大変だったのは、実は500坪から1000坪になった時だという。初めて人を雇った時だ。家族でやってられる内は少しくらい問題があってもなんとでもなった。それを超えた時に本当の苦労が始まったのだ。むしろ、それ以降の規模拡大は須藤さんにとってとくに問題ではなかった。

 まず、大きな借金を返しながらパートの賃金を払って成り立つかどうかの悩みがあった。思った通りの値段で売れるとばかりはいかないわけだから。農業ま事にきてくれる人もいなかった。やっと頼んで働いてもらってるのだから言いたいことも言えない。つ暮らし方」「生業」としての農業はつぶれないけど「事業」のレベルは経営能力がない限りつぶれるということだ。人を雇って初めて知る経営の大変さなのだ。

 規模拡大しても栽培管理が徹底できるように、それを可能にする投資と技術開発を進めてきた。温室は20年前の建物であっても、その管理は全てコンピュータによる自動環境制御技術を取入れてある。温室の状況は車で15分の離れた場所にある法人経営の温室についても、事務所のコンピュータで状況の把握と管理ができるようにしてある。その投資も莫大なものだった。しかし、卵一年前に作った温室で20年前と同じレベルの管理をしていたとしたら、とても今の経営はできなかっただろうと須藤さんは考えている。

 「ある程度理解している人がいてくれれば、今の技術レベルであれば何万坪でも管理は可能なのではないか。但し、資金と労務管理の能力がもっと必要だけど」と須藤さんは笑う。

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