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岡本信一の科学する農業

農産物の安全と安心のはなし(1)

日本の農産物は安全で安心であるのが当然と考えている方が多いと思うのですが、最近はあまりにも安易に「安全で安心」という言葉が先行しているようです。 確かに日本の食品は、世界的にも安全性が高いと評価されています。少なくとも食べて危険なものは日本のスーパーには並んでいませんし、どのレストランに入っても食中毒や病気になる心配をすることはほとんどありません。それらが日本の食品や農産物の安全という評価につながっているのでしょう。今回からしばらく連載の中で農産物の安全について書いていくつもりですが、実際には、まだまだ日本の農産物にも安全と言えない部分もありますし、慢心するべきではありません。


生野菜を食べるのは危険な行為だった

まず、農産物の安全性について考える前に、時の流れとともに農産物に対する危険性は内容が変化している点を考えてみたいと思います。
ある程度の年配の方なら、昔はサラダをあまり食べていなかったと記憶していらっしゃることでしょう。理由はいくつもあるのですが、最大の理由は寄生虫の予防です。かつて、肥料が潤沢でなかった頃は、人糞を肥料として活用していました。それが寄生虫の蔓延の理由になっていたのです。人糞に含まれる寄生虫やその卵が畑に散布されて野菜に移り、収穫された野菜と一緒に口に入るという経路です。
ひと昔前までは、農産物を生で食べることを避けて茹でたり、保存のために漬物にしたりしていました。生野菜を食べるというのは危険な行為だったのです。寄生虫だけでなく、さまざまな病原菌や雑菌などを含んでいる可能性も高いわけで、野菜を洗う水も同様だったということを忘れてはなりません。
中性洗剤で野菜を洗うなんてことまで行なわれていました。その当時、「清浄野菜」という言葉は人糞などの堆肥を使用せず化学肥料のみで育てた寄生虫の心配のない野菜という意味でした。日本人全体の問題となるほど農産物由来の寄生虫が蔓延しており、人糞に変わる化学肥料の使用が積極的に進められたのです。
次に農産物の危険性について注目を集めたのが化学合成農薬(以下、農薬)です。レイチェル・カーソンの著書『沈黙の春』(1962年)や75年から朝日新聞に連載された有吉佐和子の長編小説『複合汚染』などが農薬の恐ろしさや環境への蓄積の影響などを知らしめたことで農薬の人体や環境への影響が心配されるようになりました。
その後、危険性の高い農薬は減り、環境への残留性が低くなりました。農薬の使用方法も工夫されるようになり、消費者への危険度は格段に小さくなったといえるでしょう。
さらに日本では残留農薬への監視が厳しくなり、わずかな農薬の残留が認められると大きな社会問題になり得ます。産地全体に対して広範囲なダメージを与えるために、農薬の使用はかなり慎重になされているようです。実際に厚生労働省の2004年度の240万件にも及ぶ調査(注)では、農薬の残留基準値を超えた農産物が確認されたのは65件に過ぎません。米国などの海外と比べても日本の農産物への農薬の残留リスクは世界的にも極めて低いと考えられます。
このように農産物を食べることによる危険性やそのための対策が時代とともに変化し、日本の農産物の安全性が高く評価されるようになったのです。しかし、過去に心配された危険性がなくなったわけではありません。対策を怠れば過去に経験したのと同様の危険な事態に陥る可能性もあります。
考えられる危険因子には他にも異物混入などもありますが、食品として一般的に最も心配されるのは腐敗を含めた様々な菌等による食品汚染です。O-157の対策については世界各国で対策がとられています。しかし、日本では農産物の細菌汚染などを心配されている方は非常に少ないので、対策が遅れているように感じています。特に直売や農産加工をされている方にはその危険性を改めてお伝えしたいところです。

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