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特集

夢の見方教えます

「夢」を見るのにお金はいらない。誰に頼まれるわけでもなく、誰のためでもない。自分自身の勝手な思い入れによってしか始まりようもない「夢」。現実には存在していない何事かを空想の中で創りあげ、その実現のために計画する密かな楽しみ。他人から見ればいかにも荒唐無稽で、「そんなことできる訳がない」とからかわれていた人がいつかそれを実現する。他人には理解できなくとも、明確なイメージとして夢を心に描き続ける人には、計画が生まれ、その手順も見えてくるし、辛抱強く時を待つこともできる。やがて、かつてそれをわらった人々も彼を羨み妬むことになる。人生、夢見た者勝ち。これは真実である。
 「夢」を見るのにお金はいらない。誰に頼まれるわけでもなく、誰のためでもない。自分自身の勝手な思い入れによってしか始まりようもない「夢」。現実には存在していない何事かを空想の中で創りあげ、その実現のために計画する密かな楽しみ。他人から見ればいかにも荒唐無稽で、「そんなことできる訳がない」とからかわれていた人がいつかそれを実現する。他人には理解できなくとも、明確なイメージとして夢を心に描き続ける人には、計画が生まれ、その手順も見えてくるし、辛抱強く時を待つこともできる。やがて、かつてそれをわらった人々も彼を羨み妬むことになる。人生、夢見た者勝ち。これは真実である。

 「農業に後継者が育たないのは農業が儲からないからだ」、「日本農業が自由化の波に押し潰される」という人がいる。本当にそうなのだろうか。おためごかしの評論家がそういうのならまだしも、経営者自身がそう思うのであれば、すでに自ら白旗を上げたことにはならないか。そう思えるのは、その人自身に未来を切り開く勇気を持つだけの夢がなく、ただ現在に安住しようとしているからではないか。仕事の厳しさなど、農業も他の仕事も変わりない。どうして農業を特別視するのだ。原因は他にあるのではなく自分自身の中にあるのだ。「夢」の見かたが足りないのではないか。

 「夢」を見ぬ者が経営者であり、子の親だとしたらどうであろう。

 いかに農業が大事な仕事であるかを語れたとしても、我が家の仕事に夢を語らぬ親に後継者が付いてくるだろうか。ましてや、自分の仕事がいかに辛い仕事であるか、自分の思い通りにいかぬかを背を曲げて子供に見せてる親の元に後継者が育つわけもない。

 アダム・スミスの時代から経済学者は中小零細企業は大資本に飲み込まれてしまうと言い続けてきた。にもかかわらず中小企業は無くならず、むしろ時代が進めば進むほど小さな企業や個人が新しい事業を起こしてきたではないか。我が国の農業もまた同じではないだろうか。

 要は「人」であり、経営者自身の夢や意志のあるところにこそ、道は開かれるのである。どんな制度や手厚い保護があったとしても、どれだけお金や技術手段が存在したとしても、それだけでは足りない。むしろ一人ひとりの経営者の夢の中にこそ未来があるのだ。むしろ、すべてはそこから始まるというべきなのだ。

 だとすれば経営者や親にとって、夢を見ることは「義務」であり「責任」ですらある。そして、心を込めて思い込んだ夢は必ず実現する。同時に、成功者とは人より強く夢見た人であり、何かを一心に思い続けることのできる人だともいえるのではなかろうか。

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