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【海外レポート】
東アフリカ・ケニアの農業ビジネス探訪 番外編
- アフリカの花屋 萩生田愛
- 第7回 2013年10月21日
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援助やボランティアへの疑問
―― 日本人にはまだすごく遠いとイメージのあるケニアですが、そこから切り花、それもバラをヨーロッパより距離的にずっと遠い日本に輸入するとはその思い切った発想に驚きました。もともと、どのようなきっかけでアフリカに関心を持たれたのですか。
私はアメリカの大学に留学していたのですが、そこで全米の学生が集まって世界の問題について議論する模擬国連というのがあったんです。そこで世界には1日1ドル以下で暮らしている人たちがいることや、援助は先進国の押しつけなのではないかというテーマなどを議論しました。その中でアフリカが気になってきて、なにかの形で関わりたいと思いました。
ただ、その前にまず一人前の社会人になりたいと思って、帰国後は製薬会社に就職しました。仕事は楽しく、上司や友人にも恵まれ、とても充実した会社生活でした。そんなとき会社がWHOと提携してアフリカに薬を寄付するというプロジェクトを始めたんです。アフリカと関係ないと思っていた自分の会社が、アフリカとつながった。それで刺激を受けて、自分もアフリカとじかに関わる仕事がしたいと思って、2011年に7年勤めた会社をやめました。
―― それでNGOに参加されたのですか。
そうです。ケニアの田舎で教育と保健研修、環境問題を対象とした活動を行っているNGOに参加して、ケニアに半年滞在しました。初めてのアフリカでした。到着して2日目には活動を行っている村に入ったのですが、水も電気もなく、泊まるところはコンクリートの小屋で、中はベッドと蚊帳だけ。最初は驚きましたが、翌朝夜明けとともに鳴くニワトリの声で目が覚めて、ああ贅沢だなと思いましたね。
―― そのときには将来こういうことをしたいという方向性は考えていたのですか。
いいえ、まずは現地の人はどういうことに幸せを感じ、どういうことに困っているかを知りたかったんです。喜怒哀楽をともにすることで、自分がアフリカとどう関われそうか、そのきっかけを見つけたかった。私は学校建設のためのコーディネーターをしていたのですが、やはり貧困は大きな問題だと感じました。両親に職業がない村ほど子どもたちの就学率が低い。子どもが家計を支えるために働かなくてはならないからです。逆にいえば、親に職があれば、子どもは学校へ行ける。雇用機会をつくることがなにより大事だということを痛切に感じました。それと同時に、ボランティアや援助のあり方に疑問が湧いてきたんです。
―― 疑問というと?
貧しい村や困っている村には、たくさんの国際団体がプロジェクトをしにきます。村人たちもそれを知っているので、援助をもらうために、それぞれの団体のやり方に合わせるんですね。村の人たちが本当に困っていることを解決するのではなく、村人の方が団体のやり方に合わせる。でも、それで一時的に学校は建っても、雇用機会が生まれるわけではないから、結局、いつまでたっても村人が自立する力にはならない。でも、どうすればいいのかわかりませんでした。
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萩生田愛 ハギウダメグミ
アフリカの花屋
1981年生まれ。カリフォルニア州立大学を卒業後、製薬会社に入社。6年間勤務の後、NGOのボランティアとしてケニアへ渡り半年滞在。そこで大きな珍しい模様のバラと出会う。日本へ帰国後、2012年10月、ケニアのバラを直輸入して販売するオンラインストア「アフリカの花屋」を開設。
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