ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

岡本信一の科学する農業

農産物の安全と安心のはなし(2)

最近、農産物を消費者に直売するケースが珍しくなくなり、農家の方が農薬について聞かれる機会も増えているらしい。そういった場面で、どうもうまく答えることができないという話もよく聞く。そこで、農家が消費者に説明できるように、農薬が農産物の安全性に与える影響と危険性について考えてみたい。 
消費者が国産の農産物に対して求めているのは「おいしく、安全である」という安心感である。特に農産物の安全について消費者が考えた際に、最初に意識するのは化学合成農薬(以下、農薬)の影響である。現時点では、放射性物質に対する不安のほうが強いかもしれないが、ここでは割愛する。
科学的な根拠に基づく農産物の安全性に関する情報が発信されるようになった昨今でも、消費者の農薬に対する忌避感は強く、危険性の高いものだと理解している方が多い。消費者と話してみると、特に無農薬栽培による農産物にこだわっていない方でさえもその傾向があるようだ。

消費者への農薬の影響は農産物の残留量に集約される

まず、農薬の危険が消費者に及ばないようにどのような基準が定められているかを見てみよう。消費者にとっての農薬の影響は、農産物への残留量の問題に集約される。残留農薬の基準は、農産物の品目ごとに「毎日食べても大丈夫な量」の1%程度の濃度に設定されている。これを一日摂取許容量(ADI)という。消費者の手元に届いた農産物の残留農薬の量がこの基準値を超えないように、栽培段階での農薬の使用基準が設定されるのである。
大雑把に考えると、例えば現在の基準量以下の農薬が残留している野菜を100倍程度食べても健康への影響は生じないということになる。日本で農薬を登録する際にかかる費用が高いのは、この安全性を明確にし、ADIや栽培時の使用基準を設定するのが大変なためである。
この基準が機能していることは、前回述べた農水省の調査で240万件の農産物を調べて、わずか65件しか基準値を超えた農産物が見つからなかったという結果からも理解できるだろう。さらにいえば、残留基準オーバーのものでも、多くは基準値の2~3倍という極微量の残留量である。日本の農業者は真面目に使用基準を守っており、元々の基準が非常に厳しいことを考えると、消費者に対して何らかの健康被害を与えるという可能性は、非常に低い。詳しい情報を知りたい方は、栽培されている品目のADIをインターネットなどで調べておくと良いだろう。

農薬は「毒物」であるという根源的不安にどう答えるか

ところで、農薬による健康被害について考えるべきなのでは、散布する農業者自身である。農産物への残留量に比べれば、その数万倍の農薬量を一呼吸で吸収することもあるはずである。現在、市販されている農薬は変異原性(発ガン性に近い)や催奇性のあるものは使用できなくなっているが、農薬に対して作業者が不感症気味になっているのか、マスクすらせずに散布作業をしている方も見受けられる。安全性を確認するより、農薬散布時にはむしろ、危険性の面からの注意が不可欠である。
このような話を消費者にすると、短絡的に「農薬の危険性」として捉えがちである。消費者が抱く根源的不安は、農薬は「毒物」で、飲めば死ぬんでしょう、ということにある。少々の説明では納得できないのだ。こういった消費者から質問をされると、農家の方にも毒物に対する基本的な概念が不足していて、言葉に詰まってしまうこともあるだろう。
毒物というものを、量の概念で考えてみよう。農薬は飲むものではないので、飲めば微量でも死ぬかもしれない。お酒を大量に飲めば急性アルコール中毒になることがあるように、どのようなものでも、過剰に摂取すれば死ぬ可能性がある。そのために適量を摂取したり、使用したりするということが重要なのだ。残念ながら、農薬の危険性に関する過去の農薬の事故例や毒性などを挙げて、消費者にことさら農薬の危険性を煽っている業者も見受けられる。農薬の開発、進化のスピードは速く、50年前に問題にされた多くの危険な農薬は使用されなくなっている。
とはいえ、消費者の手元に農薬そのものが届くわけではない。栽培中に農薬を使用した農産物であっても、消費者の手元に届くまでに、既に成分は分解しているはずだ。前述の残留農薬の基準が設けられ、考えうる限り、農産物については安全の担保がなされているのである。
ただし、手元にある農産物が「安全である」というお墨付きとそれに対する「分かりやすい」説明を聞いて安心したいというのが多くの消費者の本音である。ここで、安全と安心の違いについて書いておこう。
安全というのは実際に危険のない状態を指している。これに対して、安心というのは受け手の気持ちの問題である。危険が少しでもあれば安全とは言えなくなるが、安全と言えないからといって危険であることにはならない。今まで死亡事故が起きていない新幹線だが、将来にわたって事故が起こらないと言い切れるというわけではない。ほとんどの方が新幹線を利用している理由は、最大限の安全に留意した運行が行なわれていることを知っており、信用し安心しているからである。
このように、いくら危険が少ないことを伝えたとしても、生理的に危険がある状況を受け入れられない人は安心できないということもある。すべての人が理解し、納得するのは不可能なのである。農薬の危険性、農産物への安全性について実際の状況を説明しても、それをどのように判断するのかは受け手である消費者の問題であるということを忘れてはならない。

関連記事

powered by weblio