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エクセレント農協探訪記

岡山県・高松農協=逆風の中で有機・無農薬栽培に着手信用は地元から県外にまで広がる

農協が無農薬、低農薬、有機と安全志向の栽培に取り組むようになったのは、つい最近のことである。それまでは「無農薬や低農薬は農協経営にとって敵である」という偏見が多くの農協関係者の頭を支配していた。「農薬や肥料が売れなくなったらどうするんだ!」という理屈らしい。そんな農協界の偏見がいっぺんに崩れてきたのは、農産物の販売競争が激しくなってからである。しかし岡山市高松農協だけは違っていた。農協界で誰も有機や無農薬に見向きもしなかった頃から、コツコツと安全志向の栽培に取り組んできた。
 農協が無農薬、低農薬、有機と安全志向の栽培に取り組むようになったのは、つい最近のことである。それまでは「無農薬や低農薬は農協経営にとって敵である」という偏見が多くの農協関係者の頭を支配していた。「農薬や肥料が売れなくなったらどうするんだ!」という理屈らしい。そんな農協界の偏見がいっぺんに崩れてきたのは、農産物の販売競争が激しくなってからである。

 しかし岡山市高松農協だけは違っていた。農協界で誰も有機や無農薬に見向きもしなかった頃から、コツコツと安全志向の栽培に取り組んできた。

 それをリードしてきたのは、30年以上も農協発展のため粉骨砕身してきた藤井虎雄さんである。農協界で有機・無農薬栽培に取り組んだ元祖といっても決して過言ではないだろう。これに取り組んだのは、山崎豊子さんの『複合汚染』を読んだのがきっかけだったというから、年季が入っていることがおわかりいただけるだろう。

 この取り組みが婦人部から始まったこともユニークだったし、販売に際しての目の付けどころも違った。たとえば「無農薬栽培ならアトピー症状の子供にも食べさせられる」と PRしたら大反響かあったという。また藤井さんが取り組んだ運動は、川を守るために合成洗剤を追放するなど、地域の環境保全運動にも拡がっている。

 その藤井さんに7、8年ほど前に会った時、「有機・無農薬栽培に取り組んで以来、その筋から脅迫状が投げ込まれたりしたもんですよ」と語っていたのが、いまでも耳に残っている。“その筋”とは、恐らく農薬や肥料が売れなくなっては困る上部団体のことを指していたのだろう。有機や無農薬は、”殉教者々の心意気でもなければ取り組めなかった時代が、ほんの10年ほど前にあったということだ。それを考えれば、昨今の有機・無農薬、低農薬栽培のブームは今昔の感がありすぎる。

 その藤井さんに会うのを楽しみに岡山市高松農協まで出かけていったのだが、今回は会えずじまいだった。聞けば昨年5月で組合長を退かれたとのこと。現在は藤井さんからバトンタッチを受けた難波義太氏が組合長だ。

 難波組合長は農協マンにしては少々異色のキャリアを持つ。近畿農政局で農協検査の仕事に携わってきた。定年を機に故郷に戻り農協組合長として第2の人生を送ることにしたのだ。

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