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新・農業経営者ルポ

ジャガイモで1億を稼ぐ九州男児

「宮崎にソイルコンディショニングシステムを導入しているところがある」 5年ほど前、北海道の畑作作業機メーカーの東洋農機で都府県を担当する営業マンからそんな情報を得た。 ソイルコンディショニングとは、ジャガイモの播種床から石や土塊を分離するもので、塊茎の生育環境を良好にするとともに、収穫時の作業能率の向上に役立つシステムである。本稿の2013年1月号で取り上げた北海道の有限会社鈴鹿農園も所有していたが、当地でさえ一般的ではなく、他社製を含め10セット余りが稼働しているに過ぎない。価格も1000万円以上はする。それほど希少で高価なものをなぜ必要としたのか。導入先の農業生産法人、有限会社アグリパートナー宮崎の代表取締役、岩切久義(59)には08年(翌年に株式会社へ改組)に一度取材しているものの、記事ではそのことに触れていなかった。再訪した今回、その答えに納得する。そして、鈴鹿農園に負けず劣らぬ、コントラクターをはじめ、農産、さらには農業土木と3つを柱にする、大規模経営がここ九州の地で躍動している実態を目の当たりにすることになる。 文・撮影/永井佳史、写真提供/株式会社アグリパートナー宮崎
宮崎空港から日向灘沿いに北へ約40km離れたところに岩切が拠点を置く川南町がある。日本三大開拓地の一つとして知られ、戦後、軍用地の開放などで全国から入植者が集まった。降水量は年間2300mm前後と多いものの、温暖な気候に恵まれ、西の尾鈴山地から東の海岸に向けて緩やかな傾斜を持つ黒色火山性土の広大な台地で畜産を中心とした農業が営まれている。
そんななか、岩切は、時代とともに3本柱のウエイトを調整しながら農業に携わってきた。まずは生い立ちから紹介したい。
岩切の父、重藏は53年、隣町の高鍋町からこの地にやってきた。ジャガイモやてん菜、サツマイモ、小麦、ダイコンといった畑作物の生産の傍ら、農作業の請負もしていた。父の背中を見て育った好奇心旺盛な岩切は、小学生のころから耕うん機を扱い、その操作もうまかったという。高学年になると、父が受注したセンチュウ駆除の土壌消毒を自分1人でこなすようになり、機械をセットして町内一円を回る。脱穀作業もお手のものだったそうだ。
その間、後継者と目されていた長兄を亡くす不幸もあり、次男の岩切は将来を見越して全寮制の農業高校へ進学することを決める。しかし、高校受験の1週間前に父が急逝した。家業を放り出すことはできない。悩む間もなく進学先を通学の分校に切り替え、母と2人の姉に協力を得て“経営”に取り組む。すべては、アメリカのような大型機械を駆使したスケールの大きい農業がしたいという一心からだった。その一端を示せば、高校1年のときに卒業後の布石として母親名義で資金を借り入れて32aの農地を購入したり、父の代から養蚕にシフトしていた流れで卒業前にはオイルショックで物価が高騰するのを見越して90坪の養蚕室を建設している。
70年代半ばの25歳で経営面積は7haに達した。

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