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全面耕起の歴史を覆えすにはそれなりの覚悟が必要
「耕す」ことの専門家が保守的であるのは、土の恐さを知っているからに違いない。土性は千差万別であり、水分や温度でさまざまに変化をする。土は微生物世界であり、単なる無機物とは異なる。単純な耕法で作物に快適な住居を提供することは、土を知るばかりに至難と考えているに違いない。とすると、必ずしも保守的であるとばかりはいえないと思える。播種床を作ることに土性別の条件設定が難しいとなれば、普遍化技術にはならないと考えているのであろう。
考えるに、水田作でも、畑作でも「不耕起栽培」なるものがまったく成功していないわけではない。ずばり「うまくいっている」という例があるのも、紛れもない事実である。それはたまたま土性がその耕法に合致したのであろう。専門家はそのことこそを明らかにしなければならないが、意外とこれが不明である。
「不耕起栽培」なるものが、省力・低コスト栽培技術として、マスコミを賑しながらも普及していないのは、条件設定が難しいこと、その条件が明らかになっていないためではなかろうか。どうにも道は遠い。
播種床造成についても改めて考えてみよう。播種床が作物にとっての住居であるからには、粗末に扱うわけにはいかない。開拓の時には非常時であるので“掘立小屋”でもよい。そうならざるを得ない事情も介在する。しかし、ある程度生産基盤が整えば、必ず快適な住居の建設に取組むものである。なぜならば、“掘立小屋”からの生産拡大はあり得ないからである。流行苔葉ではないが、安全・安心の生活は、しっかりした住居からもたらされるものであり、そこから生産性の拡大が望めると知ればよい。
最近は建設現場でさえ、プレハブとはいえ素晴らしい飯場が造成されている。人間の能力をフルに引き出そうとすると、住居はいい加減なものであってはならないことは確かである。
ある人は全面耕起を「無駄なエネルギーの消費」といい、土壌の微生物性を破壊するものであり、土壌を老化させるばかりであるとしている。そうであろうか。全面耕起は無駄なように思えても、それは掛替えの無駄と考えてよい。どのような土性においても安定した播種床、つまり作物に対する住居を建設するには、必要な措置が必要であり、「不耕起栽培」なるもののように簡易な部分耕であってはならないのである。いつまでも“掘立小屋”から高位生産を望むのは無理と考えるべきである。
わが国は降水量が多い。排水性の良好な土壌はともかくとして、多くは滞水しやすく、湿害がもたらされる。排水性を改善し、適切な保水性を保持させようとすれば、全面耕起は欠かせない。
また、化学肥料の多くは水に溶け、下層に移動する。作物がその全部を吸収しなければ、当然のこととして地下水の汚染が懸念される。作物に利用し尽くさせるには反転耕が必要になるのである。
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村井信仁
農学博士
1932年福島県生まれ。55年帯広畜産大学卒。山田トンボ農機(株)、北農機(株)を経て、67年道立中央農業試験場農業機械科長、71年道立十勝農業試験場農業機械科長、85年道立中央農業試験場農業機械部長。89年(社)北海道農業機械工業会専務理事、2000年退任。現在、村井農場経営。著書に『耕うん機械と土作りの科学』など。
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