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耕すということ

耕すことの本質

 反転・すき込み耕によって、地表の有機残湾物は下層で腐植し、無機化する。地表の風化した土壌は、それらの有機物等と下層で休息することにより、新しい干不ルギーを取戻す。これは土壌の再生、リフレッシュである。

 そして、地表の雑草の種子の多くは、下層にすき込まれることにより、微生物の餌食となって、再び地上で繁茂することはない。除草の省力化の基本技術としても、全面耕起は欠かせない。

 このように、全面耕起は土壌のクリーンアップであり、土壌の潜在能力を活用すると同時に、土壌の保全の役割を果たしていたのである。全面耕起が歴史の中で連綿として続けられてきたのは、それなりの理由があってのことである。

 「不耕起栽培」(部分耕栽培)なるものを決して否定するものではないが、歴史の流れに刃向かうからには、それなりの覚悟がなければならないということである。その覇気があってこそ、土壌を勉強し、作物の生態を知ることとなり、そして始めて成立するものであろう。

 農家は「経営者」である。経営者は先に安定性を求める。「不耕起栽培」の安定性をどのように確保するか、除草の省力化に新しい手段はあるか、これらには、いままでに考えられなかった革新技術をもって臨むよりしかたがないであろう。


高位生産技術を持ちながら自給率は潰滅的な日本農業


 南米の小麦と大豆の「不耕起栽培」がなぜ成立しているのか。規模の大きい経営面積、乾燥気象条件、土質などから除草剤の利用で比較的簡易に除草ができることが一つの理由とされているが、何よりも生育の安定性が大きなファクターになっていると考えられる。

 これは「不耕起栽培」というよりも、スタブルマルチ(残株茎稗マルチ)栽培というべきものである。そもそもの発想が土壌の水蝕防止から始められたものであるが、この残株茎稗が発芽性、初期生育の安定性に大きく貢献している。

 大きなウエーブコールタで土壌を切り割り、部分破砕をしたところに播種されるが、この場合の播種床はやはり完全なものではない。“掘立小屋”同然のものであり決して落ち着けるものではない。ただ幸いなことに、ここには残烋蚤程が地表を覆っており、土壌水の蒸散を押さえている。また温度変化も少なく、“掘立小屋”でも快適な居住環境を構成しているのである。発芽も初期生育も極めて順調であるのは、残株茎稗に守られているといってよいであろう。

 南米の「不耕起栽培」ぽ南米だからできることである。除草剤の多用といっても、除草剤だけで雑草を押さえることができること、気象条件に恵まれ一年に二作、圃場を空けることなく栽培ができること、経営面積が大きく安価な小麦と大豆だけでも生活を維持できることなど、わが国とは基本的に環境が異なっている。その技術は参考にできるとしても、その経営をそのまま導入するということにはならないであろう。

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