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自分の畑は自分で診断する

これなら分かる「土と肥料」の実践講座肥料その2

「農業」と「作物生産業」とは違うのだということを認識すべきではないでしょうか。この認識を持った上で、生産現場やそれとかかわる人々を見ていくと。かなり”迷い”が解けます。土の耕し方や、その必要性を論じると、必ず「それでは不耕起でものが穫れるのはなぜだ?」という意見が出てきます。不耕起で現在やりくりできるのは、過去において荒れ果てた湿地を水田にしようと心がけた人々の耕す行為があったからです。この心がけとは、「農業にしていこう」とした態度です。
「農業」と「作物生産業」とは違うのだということを認識すべきではないでしょうか。この認識を持った上で、生産現場やそれとかかわる人々を見ていくと。かなり”迷い”が解けます。

 土の耕し方や、その必要性を論じると、必ず「それでは不耕起でものが穫れるのはなぜだ?」という意見が出てきます。

 不耕起で現在やりくりできるのは、過去において荒れ果てた湿地を水田にしようと心がけた人々の耕す行為があったからです。この心がけとは、「農業にしていこう」とした態度です。

 農業とは次の世代のことを考えた行為です。ロックウール耕でも水耕でも作物は穫れます。穫れますが、それは作物生産業なのです。ここで私か言いたいのは、作物生産業が農業と較べて上だとか下だとかいうことではなく、それぞれの人がなにをめざしているのかということです。さらに言うならば、圃場を前にして、自分かこの2つのうちのいずれをめざすのか、それをはっきりするべきだということです。

 植物の進化の歴史はとてつもなく長く、その過程で培った環境適応能力は想像以上に高いものです。彼らはそれによって、さまざまな条件下で生きていく術を持っています。ですから、的をはずれた栽培を行なっても、作物は育ちます。

 つまり、永続性を考えた農業であっても、単なる作物生産業であっても、作物は穫れるのです。そして、全員が農業をめざす必要もありませんし、全員が作物生産業になってしまうこともないはずです。

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