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【江刺の稲】
「物質循環業」としての農業
- 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
- 第16回 1996年04月01日
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自慢するような話ではないが「糞」という漢字を覚えた時のことをいまでも思い出せる。小学校の低学年だったと思う。僕にそれを教えたのは、父の田舎から年に何度か前ぶれもなく現れて数日から数ヵ月間我が家の住人になっていた人だった。以前は国鉄に勤めていたらしいが、当時は仕事をしている様子はなかった。
しかし、国鉄時代の習慣でか、退職後も文字通り風来坊の風体ながら当然のごとく敬礼で改札を通り田舎から東京まで無銭乗車してきたり、酔っ払ったまま頼みもされない小学生の交通整理をして車に轢かれたりしていた。字がとてもうまく、いつも「風来坊」という特大サイズの名刺を持ち歩いていた。
彼は僕にこう教えた。
「米が異って糞だ。いいか、コメはひとの体を通すとクソになる。だから『こめ (米)だ(田)ども(共)くそ(糞)』と書く。だけど反対に糞は田の肥やしになり米になる。ただし、米も腹に溜まって糞になるように、糞も肥だめに溜めて初めて肥やしになる。だから、米だども糞だが、糞だども米なのだ。ウム、字はこうして覚えんといかん」
「ムムッ、米が糞で、糞が米か……。ソーカ、なんと意味が深いものであるのだ。これこそが智恵だ」などと子供が思うわけもないが、字を覚えた以上に子供心にテツガクしてるような気分くらいにはなっていたかもしれない。
しかし、国鉄時代の習慣でか、退職後も文字通り風来坊の風体ながら当然のごとく敬礼で改札を通り田舎から東京まで無銭乗車してきたり、酔っ払ったまま頼みもされない小学生の交通整理をして車に轢かれたりしていた。字がとてもうまく、いつも「風来坊」という特大サイズの名刺を持ち歩いていた。
彼は僕にこう教えた。
「米が異って糞だ。いいか、コメはひとの体を通すとクソになる。だから『こめ (米)だ(田)ども(共)くそ(糞)』と書く。だけど反対に糞は田の肥やしになり米になる。ただし、米も腹に溜まって糞になるように、糞も肥だめに溜めて初めて肥やしになる。だから、米だども糞だが、糞だども米なのだ。ウム、字はこうして覚えんといかん」
「ムムッ、米が糞で、糞が米か……。ソーカ、なんと意味が深いものであるのだ。これこそが智恵だ」などと子供が思うわけもないが、字を覚えた以上に子供心にテツガクしてるような気分くらいにはなっていたかもしれない。
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昆吉則 コンキチノリ
『農業経営者』編集長
農業技術通信社 代表取締役社長
1949年神奈川県生まれ。1984年農業全般をテーマとする編集プロダクション「農業技術通信社」を創業。1993年『農業経営者』創刊。「農業は食べる人のためにある」という理念のもと、農産物のエンドユーザー=消費者のためになる農業技術・商品・経営の情報を発信している。2006年より内閣府規制改革会議農業専門委員。
江刺の稲
「江刺の稲」とは、用排水路に手刺しされ、そのまま育った稲。全く管理されていないこの稲が、手をかけて育てた畦の内側の稲より立派な成長を見せている。「江刺の稲」の存在は、我々に何を教えるのか。土と自然の不思議から農業と経営の可能性を考えたい。
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