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新・農業経営者ルポ

伝える風味、風土、風景と取り戻すべき地域の誇り

岐阜県の南東部に位置する東濃地方の名産といえば栗菓子。その商いで同地の一般的な和菓子店とは対極的なやり方を取って、年商1億円だった家業を20億円にまで成長させた人物がいる。恵那川上屋代表の鎌田真悟(50)だ。農家から地栗を相場の倍以上で買い入れ、商品を都市部ではなく、東濃地方の人たちに売っている。彼はなぜ地域にこだわるのだろうか。 文・撮影/窪田新之助
「木曽路はすべて山の中である」
文豪、島崎藤村(1872~1943)の長編小説『夜明け前』はこんな書き出しで始まる。もちろん、今も山深い土地であることに変わりはないが、道路が整備されて人の往来はずっと賑やかになった。恵那市から車で少し足を延ばせば、下呂や白川などの温泉地や馬籠や妻籠などの旧宿場町。そうした観光地が点在する環境に和洋菓子の販売店を兼ねた恵那川上屋の本社がある。
4000平方メートルの敷地には、数十台は停まれるような広々とした駐車スペースを設けている。取材で訪れたのは平日の午後だったが、乗用車に混じって観光バスも止まっていた。店内には喫茶コーナー「里の菓茶房」があり、そこで子連れの女性たちが季節の果物を盛った洋菓子を食べながら会話を楽しんでいるところだった。夏になれば、栗のソフトクリームを求める客が長蛇の列をなすという。
ただ、年間を通しての売れ筋はなんといっても栗きんとん。これは、蒸した栗の皮を割って中身を取り出し、砂糖を混ぜ込んでたき上げた後、茶巾で絞った菓子のこと。恵那市に隣接する中津川市が発祥地で、もともとは各家庭で作ってきた東濃地方の伝統的な菓子である。
同社がこれまで開発した菓子は和洋合わせて1300点ほどに上る。このうち、残った300点を季節に応じてそれぞれ店頭に陳列している。とりわけ、「栗ようかん」「栗きんとんティラミス」「くりもなかあいす」など名産の栗を使った商品はやはり人気がある。
栗の年間使用量は180t。このうち、100tは地元の「恵那栗」。全量を地元産にしたいが、生産量が追いつかないため、残りは県外産でまかなっている。後に述べるように農業生産法人を設立して、自社で増産に励んでいるところである。それほどまでに地栗にこだわるきっかけになったのは、かつて口にした栗きんとんの味に対する違和感にあった。

3者が喜ばなくてはいけない

高校卒業後、菓子づくりの修業で東京都内の洋菓子店に入る。あるとき訪れた都内の百貨店で、中津川市の和菓子屋が栗きんとんを売り出していた。これは鎌田世代の東濃地方の人々にとってみれば家庭の味。どこの家でも秋になると、庭木になる栗の実を取ってきて栗きんとんをこしらえていたのだ。
そんな故郷の味が懐かしくなり、百貨店で売られていた栗きんとんを買って口にした。しかし、それは地元で親しんできたものとはどこかが違う。ただ、そのときには、その微妙な違和感の所在に気づくことはなかった。
なぞが解けたのは20歳を過ぎてから。新たな修業先である中津川市の和菓子屋に答えがあった。その店に毎日届けられる栗は他県産だったのだ。栗は鮮度が命。とりわけ、栗きんとんは栗と砂糖だけで作っており、栗の良し悪しが商品の価値を決定づけるといってもいい。ただ、他県産は収穫してから運ぶまでに数日が経っている。これでは本来の風味を引き出せない。
鎌田が子どものころ、家庭でこしらえていた栗きんとんの原料は、その日収穫したばかりの栗である。だから、百貨店で売っていたものに違和感を抱いて当然なのだ。
当時、栗きんとんは知名度が高まって全国各地で売られるようになっていた。地元の和菓子店が大量生産のために使い始めたのは他県産の栗。市場経由で調達したもので、そのほうが必要なときに必要な量だけを仕入れられる。おまけに地栗よりおおむね価格が安い。その一方で地栗は生産量を減らして衰退していた。

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