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新・農業経営者ルポ

有機農業の推進を目指す農業経営者と全国からそこに集う人々


10aの売上を見ると、甘夏の植栽本数を少なく見積もって100本とすれば、1本1万円で100万円になる。60年当時の大卒の初任給は1万6115円なので、いかに田浦の農家が裕福になったかが容易に想像できるだろう。勢いに乗って人々は山の上へ上へと開墾していった。年々生産量は増えても、約30年間、甘夏の相場はほとんど変わらなかったという。ただ、田浦に富をもたらした当の本人は、そこに安住することはなかった。あるできごとをきっかけに、源志は志郎とともに次の夢に身を投じていく。

有機農業への目覚め

「今年はひどい天候で全国の梨はまるでダイコンのようだ。ただ、こんなときでも例年どおりにうまい梨を出してくる鳥取の産地があるんだね」
田浦が甘夏バブルに沸く最中、東京・神田にあった青果市場で源志は仲買人からこんな話を聞いた。たまたま、田浦のミカンの味も落ちてきたと感じていたころだった。仲買人の言葉が気になった生来の行動力の持ち主は、その産地名を確認すると、そのまま夜行列車で鳥取県東伯町(現・琴浦町)に向かった。翌日、同地の農家になぜうまい梨ができるのかを尋ねてみると、園地にはボカシ堆肥だけを入れているというのだ。ボカシ堆肥を入れるとなぜうまい梨ができるのか。不思議に思った源志は、縁あって知り合った京都大学農学部の小林達治講師から答えを得る。それは「微生物が味をつくる」ということ。志郎が解説する。
「土の中には目に見えない微生物が億単位でいて、平均2時間程度で1世代を繰り返すんですね。その間、食べては分泌物を出し、死んだら菌体となります。その菌体の中に味を良くするアミノ酸や核酸が残り、植物はそれを吸収していく。だから、ボカシ肥料や発酵肥料で栽培すればうまくなるんです。最初はそんなことがあるはずないと思っていた。でも熱心に話を聞く中で、これは間違いなさそうだと思うようになっていったんです」
有機農業にすれば、今まで以上にうまい甘夏が作れるに違いない――。そう直感した源志と志郎は有機農業を始めることを決意する。
こうした進取性は先祖代々であるようだ。農家として江戸時代から続く鶴田家は、1900年には米国から導入されたばかりのレモンとネーブル、グレープフルーツの栽培を始めている。戦前には日向夏を東京・銀座の千疋屋に卸すほか、北九州市の卸問屋を通じてレモンとネーブルを上海や香港に輸出することもしている。

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