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編集長インタビュー

食管制度の呪縛が解けぬ農業界 時代の変化に合わせて経営は変化するもの


昆 そもそも民主党政権の所得補償、あれは食管法で大混乱していた時代の生産者所得補償方式に逆戻りしたという話でしょう? マーケットを完全に無視するということを平気でやったわけですよね。それに合わせて商売人は、当然やることをやりますよね。生産者にしても、流通業者、小売業者にしても結果、誰も得していません。その食糧管理(食管)制度が終わって来年で20年になりますね。
市川 そもそも食糧管理法というのは、1941年につくられて42年に施行された、まさに戦時中の法律です。食糧が足りないから国が集めて配給をするというものでした。
昆 もともとは国民に食べさせるという目的に始まったのに、コメ余りになった時点から、生産者本位の制度になっているんですよね。
市川 そうです。75年以降になると食糧が過剰になってきて、若者が地方から都会に働きに出て、田舎に残った人と収入の格差ができたと。その格差を埋め合わせるために、米価という名のもとに、富の再配分をやったわけです。それなりに効果はありましたが、政府が高く買って、安く払い出すわけですから、その赤字が増して、コメ余りの時代になって3兆円もかけて処理したわけです。それでもなくならなくて、95年の大不作のときに食管法ではどうしようもならないということで、2年後の97年に食糧法ができて、廃止になりました。
昆 20年も経つわけですが、食管の呪縛というのを私はすごく感じます。その辺りはいかがですか?
市川 食管法の呪縛はまだ残っていますね。わかりやすいのが、生産者の方々が今でも米価って言うんです。米価というのは誰かが決めてくれる、政府が決めてくれる価格のことでしょう。コメの価格はマーケットが決める、相対で決める、売り手も参加して買い手も参加して最終的にはマーケットが決めるのであって、誰かが決めてくれるというところから脱却しないとダメなんじゃないかと私は思っているんです。
昆 制度としては消えましたけど、建前上、減反なくすことになったときに、「じゃあ、オレはコメをつくる」なんて簡単に言えない。極めてリスク管理が必要な経営になってくるのに、米価とおっしゃったように、今までの延長線上で考えているんじゃないかなと危機を感じるんです。
市川 そうそう。結局、ものをつくるというのは売り先がある、あるいは食べる人がいる。それらの消費があって初めて生産があるわけです。それなのに国の政策をはじめ、その生産段階の方々は出口を考えないでつくっている。だから、消費地と生産地の意識の差がかなりあって、消費構造がどうなってるのかというのを全然わかっていないんです。

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