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新・農業経営者ルポ

農業を「食業」、そして「農村産業」へ

「農業を食業に変える」。宮城県登米市の伊藤秀雄はこんな宣言をもって農業経営にまい進してきた。自社ブランド「伊達の純粋赤豚」に代表される農畜産物の生産と加工、販売、さらには直売所やレストランといった事業を展開。従業員35人とともに年商約5億円を稼ぎ出す。次に目指すのは「農業を誘客型の農村産業に変える」こと。豊かな自然や生態系が残る東北北部を舞台に農村経営者としての夢を広げていく。文・写真/窪田新之助、写真提供/(有)伊豆沼農産

JR東北新幹線のくりこま高原駅で乗ったタクシーが動き出し、田園地帯を眺めていたら、しばらくして右手に生い茂った雑草の向こうに沼が見えてきた。運転手に聞けば思ったとおり、雁や白鳥、鴨などの渡り鳥にとって日本最大の越冬地、伊豆沼だという。
やがて、その畔に立ち並ぶ3軒の建物がある敷地に到着。車から降りて手前にある直売所に入っていくと、店員の男性が社長の伊藤が待つレストランに案内してくれた。レストランのすぐ向こうはJR東北本線で、線路を挟んで「サンクチュアリセンター」と大きく書かれた建物がある。店員に聞くと、伊豆沼とその隣に位置する内沼に生息する水生生物、特に魚類について学べる市営の施設だそうだ。伊豆沼と内沼は、国内で2番目にラムサール条約の指定を受けた地域。伊豆沼農産はこうした環境の中に立脚している。
会社がある地名は「新田」。レストランで伊藤に会って早々、「“しんでん”っていうから、この辺りは江戸時代の開拓地ですか」と尋ねると、「いえ、あれは“にった”と読みます」と言う。伊藤の話によると、この地名の由来は元来、奈良時代の律令政府が陸奥国での支配を広げようとして設置した、軍事的な防御施設「新田柵」がこの地にあったためとされてきた。しかし、最近の遺跡調査で新田柵は近隣にある別の場所で見つかったため、他に由来があるだろうということだ。それにしてもよどみなく出てくる。いささか不思議に思ったが、この後、伊藤が思い描く「農村産業」の話を聞いているうちにその疑問は解消する。
レストランの名前は、ドイツ語で「仲間」を意味する「くんぺる」。メイン料理は自社ブランド「伊達の純粋赤豚」を使ったハムやソーセージ、豚ステーキやヒレかつ、ピザ。「地域料理の店」という別名があるように、郷土料理のはっとも扱っている。
「伊達の純粋赤豚」というのは、宮城県が開発した系統豚「しもふりレッド」を、伊豆沼農産が純粋交配させた赤毛の豚である。「黒豚」への対抗意識を込めて命名したこの豚の肉は柔らかくて肉汁が多い。オレイン酸が多くて融点が低いことから舌触りも良い。海外にも輸出している。
特筆すべきは、そのおいしさを担保するため、全頭検査をしていることだ。社員3人が1頭ごとにロースをしゃぶしゃぶにして食べ、柔らかさや風味、食感などを確かめている。この検査に通らなければ、枝肉や精肉として出荷することはない。すべてが加工の原料に回される。全頭検査は、「農業は食べる人のためにある」という同社の原点を思い起こさせる。

規模拡大型から付加価値型へ

この地の農家に長男として生まれた伊藤は高校卒業後、当時にあっては当然のように家業を継ぐつもりだった。ただ、どうしても大学には行きたかった。父親の許しを得て受験に臨んだものの失敗し、予備校通いを始めた。しかしその2カ月後、不慮の事故で父親が亡くなったため、やむなく大学受験を諦めて農業を始める。いわばまっさらな状態でのスタートだった。そのことは振り返れば良かったという。

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