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新・農業経営者ルポ

農業を「食業」、そして「農村産業」へ


「農業について先入観がなかったから、新しい情報や提案も素直に聞くことができた」
父親は亡くなる直前に豚舎を建てていた。それを受け継いだ伊藤がやろうと思ったのは、当時流行った米国型の大規模養豚である。まずは豚舎を増築しようと土地を探した。だが、家畜排せつ物の処理問題を理由に土地改良区が土地の賃貸借を了承しない。一方、伊藤自身は心のどこかで、生体に薬剤を投与して肥育効率を上げること、さらに自分が育てた豚をどこの誰が食べているのかわからない加工や流通のあり方に疑問を感じていた。そうした悩みの末、まったく違う経営にベクトルが向く。それが「農業を食業に変える」である。
「作るのは農産物ではなく食べ物だと。人の口に入る物を作っていこうと考えた。もし規模拡大がとんとんといっていれば、その方向に突っ走っていったでしょう」
目指したのは規模拡大型ではなく、付加価値型の農業を追求すること。当時の養豚業の大勢とはまったく逆に向かうことに家族には反対された。しかし、ただ一人、祖父だけは応援してくれた。元町議会議員だった祖父は、自分と性格がよく似た孫をよく理解していた。「周りから反対にあっても、信念を持ってやると言ったからにはやるのだ」と。たしかに目の前の伊藤からはそうした気迫が感じられる。
加工事業では「伊豆沼ハム」や「伊豆沼ソーセージ」といった商品ができ上がった。パッケージのデザインにもこだわろうと、地元のデザイン会社に依頼した。ただ、いくらすり合わせても気に入らないことから、国内最大の印刷会社に頼み込む。先方は断りこそしないが、なかなか仕事に応じてくれない。後で知ったが、その会社は個人相手の取引をしていなかった。
この教訓から、1988年10月に伊豆沼農産を創業してからわずか7カ月後に法人化。加工品づくりと同時にレストランの経営にも乗り出す。それは思わぬ効果をもたらした。人脈の広がりである。
「レストランでお客様に呼ばれたら、忙しくてもあれこれと説明しに出向く。そうやって色々なお客様と接するうちに、異業種、異分野の人脈が広がっていった。こちらは農業で先入観がないから、どんどん吸収できる。そのときに学んだことを挙げれば、たとえば営業ではモノを売るな、自分を売れということ。『伊豆沼ハム』ではなく、『伊藤秀雄が作ったハム』を食べたいと言ってもらえるようにする。そこにあるのは信用であり信頼。そうなれば何を売っても売れるわけですよ」

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