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新・農業経営者ルポ

農業を「食業」、そして「農村産業」へ


たしかに、就農時に800万円でスタートを切った売上は右肩上がりで伸びた。だが、92年に4800万円になった時点で頭打ちになる。一方で事業が広がるとともに雇用を増やしたため、固定費は上がっていった。こうした事態を打開するため、「プロダクト・アウト」から「マーケット・イン」にシフトする。具体的にはプライベートブランドの受託加工に着手したのである。企業秘密のため、詳細が書けないのが残念だが、いまや誰もが知る特産品も手がけてきた。
併せて組織改革も断行。外販営業と直販営業、総務経理、製造、広報企画という5つの部署から社長に情報が直接入ってくる組織体制にした。情報を上に伝達するうえで常務や専務を通せば、社長に届くまでに、時間がかかるし、正確性に欠ける可能性があるためだ。また、商品開発は営業マン、メニュー開発はホール担当者に任せることで、客の声が商品やサービスに直に反映されるようにしている。

農業を農村産業に変える

こうして一代で年商5億円まで伊豆沼農産を発展させた伊藤はいま、地域を舞台に新しい夢を描いている。それに関して会社のホームページに自身のメッセージを載せている。約10年前、東京在住の友人が初めて伊豆沼に遊びにきたときの話である。一部抜粋しよう。
普段忙しい友人のため、のんびりとした雰囲気をと歩きながら案内することにし、「ここはラムサール条約の指定地で自然の楽園。冬は渡り鳥、夏は蓮の花、自慢でねぇけど良いどごだべぇ」
ところが彼は、私にこういいました。「そんなことは誰でも知ってるよ」「それより、こっちの山かっこいいね。木もすごいね。樹齢何百年かな」
質問に答えられないことが多くなり、どうしようかと思っていたところに、近所のお年寄りがいとも簡単に答えを出してくれました。私も段々周りの景色を注意深く見るようになっていき、いつも見ている風景にこんな価値があったのかと驚きました。「慣れ」がベールを厚くし、そのベールを取ってくれたのは、初めて伊豆沼を訪れた友人であり、ゆっくり流れた時間、そして歩くスピードだったのかな、と気づいたのです。
こうしたできごとがきっかけになり、伊藤は06年にNPO法人・新田あるもの探しの会を設立して事務局長に就いた。地域に眠る宝物探しのためである。「普通にそこにある」人や物も見方を変えてみれば、新しい価値が生まれてくる。それは「農村産業」になるのではないか。レストランを開いたのも地域起こしを考えてのことである。

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