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【江刺の稲】
農業「事業化」への道筋
- 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
- 第17回 1996年06月01日
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外食業界のセミナーに出席して業界トップの方々から話を聞く機会があった。
総売上約28兆円といわれる外食業界も今でこそ多数の上場企業をもつ産業界として認知されているが、外食業が「事業」としての形を整え始めたのは、わずかこの25年か30年前からのことだという。当時は「外食業」という言葉すらなく、飲食業といえば「生業」として営まれる小商いであり、「デキモノと水商売は大きくなると潰れる」とすらいわれていた。
限られた老舗の旅館やホテル、料亭などが「家業」レベルの業態として成立していた程度だった。経営主自身も事業者意識に乏しく、その社会的評価も高いものとはいえなかった。
生業にすぎなかった飲食店が、「食」のサービスを求める多数の顧客の存在を自覚し、顧客が求める「値ごろ」の価格でそれを提供する、外食産業という「事業」としての社会性をもつ存在に成長していくのには、単に社会的条件の変化ばかりでなく当時の創業者たちの新しいサービス業者たらんとする自負と夢と勇気とチャレンジがあった。
この話を聞いて農業の「今」を考えた。
長い農業の歴史の中で、今こそ農業の経営が「生業」から「家業」へ、さらに「事業」へと発展を遂げようという時代だと思えるからだ。そして、農業経営者たちの現在が、約30年前に飲食店の事業的発展を夢見た外食業界経営者たちにだぶって見える。
かつての飲食業界と同様に、農業関係者の中には『農業は事業たりえない』と決めてかかる人が多い。もちろん、農業のすべてが事業的経営である必要はない。今後とも家業的経営や生業的に営まれる農業が、数においては圧倒的多数を占めるであろう。人生の楽しみのための農業があったり、福祉的な農業があるのも、あるいはサラリーマンの兼業として行なわれる場合があってもおかしくない。むしろ多様な姿で農業が存在することが健康な姿だとおもう。
ただし、これからの農業とは自立する事業的経営者層がいてこそ産業としての責務を果たしていけるのであり、同時に多くの多様な農業者の地位も守られていくのである。また、優れた経営者なら自らの事業の永続性をおもえばこそ、顧客や従業員や家族に対してばかりでなく、取引先の成長発展や地域への貢献や、より広範な社会的責務を考えるであろう。
いいにくいことだが、これまで「事業的規模」で農業が成立するケースが少なかったのは、実は経営者の能力や覚悟に問題があったとはいえないだろうか。
資本があり、技術があり、労働力、市場があるからといって事業経営が成立するわけではない。事業経営の前提には何よりも「経営主体」の個人としての強い意志や夢、そして顧客への献身を自覚する健康な事業欲こそが必要なのである。これまで多くの農業経営体が、各地で鳴り物入りで作られては消えていった。その理由は、「経営主体の意志」が明確でなかったり、個人の責任が自覚されないままに無原則な協同意識によりかかっていたり、行政や農協職員の指導にオンブにダッコのあなた任せの経営であったりしたからではないのか。
戦後の農業界においては、農水省や農協や自治体こそが農業の経営主だったのである。農家は単なる労働力としての立場に置かれ続けてきた。また、よくいわれるごとく、後ろ向きの村の論理を含めて様々な制度や規制が、自立への道を歩もうとする者への手かせ足かせともなっていた。
総売上約28兆円といわれる外食業界も今でこそ多数の上場企業をもつ産業界として認知されているが、外食業が「事業」としての形を整え始めたのは、わずかこの25年か30年前からのことだという。当時は「外食業」という言葉すらなく、飲食業といえば「生業」として営まれる小商いであり、「デキモノと水商売は大きくなると潰れる」とすらいわれていた。
限られた老舗の旅館やホテル、料亭などが「家業」レベルの業態として成立していた程度だった。経営主自身も事業者意識に乏しく、その社会的評価も高いものとはいえなかった。
生業にすぎなかった飲食店が、「食」のサービスを求める多数の顧客の存在を自覚し、顧客が求める「値ごろ」の価格でそれを提供する、外食産業という「事業」としての社会性をもつ存在に成長していくのには、単に社会的条件の変化ばかりでなく当時の創業者たちの新しいサービス業者たらんとする自負と夢と勇気とチャレンジがあった。
この話を聞いて農業の「今」を考えた。
長い農業の歴史の中で、今こそ農業の経営が「生業」から「家業」へ、さらに「事業」へと発展を遂げようという時代だと思えるからだ。そして、農業経営者たちの現在が、約30年前に飲食店の事業的発展を夢見た外食業界経営者たちにだぶって見える。
かつての飲食業界と同様に、農業関係者の中には『農業は事業たりえない』と決めてかかる人が多い。もちろん、農業のすべてが事業的経営である必要はない。今後とも家業的経営や生業的に営まれる農業が、数においては圧倒的多数を占めるであろう。人生の楽しみのための農業があったり、福祉的な農業があるのも、あるいはサラリーマンの兼業として行なわれる場合があってもおかしくない。むしろ多様な姿で農業が存在することが健康な姿だとおもう。
ただし、これからの農業とは自立する事業的経営者層がいてこそ産業としての責務を果たしていけるのであり、同時に多くの多様な農業者の地位も守られていくのである。また、優れた経営者なら自らの事業の永続性をおもえばこそ、顧客や従業員や家族に対してばかりでなく、取引先の成長発展や地域への貢献や、より広範な社会的責務を考えるであろう。
いいにくいことだが、これまで「事業的規模」で農業が成立するケースが少なかったのは、実は経営者の能力や覚悟に問題があったとはいえないだろうか。
資本があり、技術があり、労働力、市場があるからといって事業経営が成立するわけではない。事業経営の前提には何よりも「経営主体」の個人としての強い意志や夢、そして顧客への献身を自覚する健康な事業欲こそが必要なのである。これまで多くの農業経営体が、各地で鳴り物入りで作られては消えていった。その理由は、「経営主体の意志」が明確でなかったり、個人の責任が自覚されないままに無原則な協同意識によりかかっていたり、行政や農協職員の指導にオンブにダッコのあなた任せの経営であったりしたからではないのか。
戦後の農業界においては、農水省や農協や自治体こそが農業の経営主だったのである。農家は単なる労働力としての立場に置かれ続けてきた。また、よくいわれるごとく、後ろ向きの村の論理を含めて様々な制度や規制が、自立への道を歩もうとする者への手かせ足かせともなっていた。
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昆吉則 コンキチノリ
『農業経営者』編集長
農業技術通信社 代表取締役社長
1949年神奈川県生まれ。1984年農業全般をテーマとする編集プロダクション「農業技術通信社」を創業。1993年『農業経営者』創刊。「農業は食べる人のためにある」という理念のもと、農産物のエンドユーザー=消費者のためになる農業技術・商品・経営の情報を発信している。2006年より内閣府規制改革会議農業専門委員。
江刺の稲
「江刺の稲」とは、用排水路に手刺しされ、そのまま育った稲。全く管理されていないこの稲が、手をかけて育てた畦の内側の稲より立派な成長を見せている。「江刺の稲」の存在は、我々に何を教えるのか。土と自然の不思議から農業と経営の可能性を考えたい。
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