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江刺の稲

農業「事業化」への道筋

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第17回 1996年06月01日

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 その反面、農民に対するおためごかしの甘言や煽り続けられた「被害者意識」と、その中で語られる「結果の平等」を求める「みんな一緒」の論理。さらに世間からは「過保護」と非難され、その揚げ句は関連産業や農業関係者にかすめ取られ続けてきた様々な補助金も、農業者の誇りを擁護するというより、むしろ経営者としての真の自立を妨げてきたといってもよいのかもしれない。

 勉強会の中で、奥住正道氏(日本フードサービス学会会長)は、「農業と単なる『取り引き』をするのではなくみずから参加し『取り組み』として農業に関わっていけるか」をセミナー参加者である外食業関係者たちに問いかけた。また、セミナーを主催し九日本フードサービス協会の前会長の新道喜久治氏は、農業改革を語り支援や協力を考えるのは「現在の農業を守るためというより、それがお客様のためにこそ存在する事業者としての責任であるからだ」と話していた。

 農業の川下にいる人々の農業への取り組みに農業界はどう応えていくのか。そして、新道氏が語る「お客様のためにいる自分」を自覚するということこそ、外食業界の経営者たちが自らの仕事を社会性のある事業へ発展させてきた原点なのだと教えられた気がした。またそれは、とかく農業唯我独尊の論理に陥ることの多い農業人への新道氏からの共感を込めた警句であると僕には聞こえた。

 何の制度的保護もない新道氏らの外食産業事業化への取り組みは、農業をめぐる現在の環境と比べれば決して恵まれたものではなかったはずだ。

 事業の発展を願う者の道は決して容易なものと考えるべきではない。しかし、過剰な施肥や過剰な管理が作物の健全な生育を妨げるごとく、安楽な条件ではなく夢を持ちつつ困難に挑むことこそが、経営者そしてすべての人間を育てるものなのではあるまいか。

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