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北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

ラジオでそう言ってるじゃないか!

2001年9月11日の朝、私と札幌近郊・江別市の機械屋さんと米国人ボブの3名で、米国ミネソタ州北西部にあるローズルという町に向かった。その日の朝はレンタカーで滞在していたファーゴから、だだっ広いプレーリーと呼ばれる大平原を北上した。
カナダ国境に近づくと、1マイル間隔で見ることができた農場がもっと少なくなり、栽培している作物もひまわりやビートが目に付くようになった。ほぼ直線の片道4車線で利用できる道路を余裕の2車線で運用できる余裕はありがたい。
制限速度は時速75マイル(120km)だ。アイダホ、ワイオミングなどは“丸善石油オー・モーレツ”の時速80マイル(129km)だが、あくまで飛行機と同じ対地速度の話で、車中は何の変化もないワン・グラビティーの世界だ。
この道路を作るのに1マイルあたりのコストはどのくらいになるのだろうか? 全米に張り巡らされたインターステート(州間高速道路)は日本や中国が買った米国債や米国民の税金からできている。地域の一人当たりの恩恵度を考えたとき、日本の大都市であっても地球儀上では未だ虚勢を張った豊かさを2世代に渡って経験していない極東の田舎だと感じることが多い。
ファーゴを出て1時間くらいして、自宅から連絡が入った。
「あなた、大変なことになってるわよ!」
どうせ誰かが皇居・二条橋の前でポキートな4インチぶら下げてストリーキングでもやったのか、くらいに思ったがそうではなかった。NYのWTC(世界貿易センタービル)に飛行機が2機突っ込み、日本の深夜のTVでもこれはテロに間違いないと連絡が来たのだ。数分して、ボブの奥さんからも同様の電話が入った。
しかし不思議なものだ。米国よりも北海道のほうから早く電話が来たのだから。そういえば逆のケースもあった。93年7月12日の深夜にLAの知り合いから「ミ・ヤ・イ・さ~ん、大丈夫ですか?」と電話があった。寝ていたが、言われるままにTVを付けると地震があり、津波などで200名以上の犠牲が出た北海道・奥尻島のことだった。
ファーゴを出てからラジオも付けないで、MBAを持っているブッシュ大統領はマトモかどうかなどと話していたので、外界とのやり取りはゼロ・グラビティーの宇宙船状態だった。ラジオを入れると局を選ばずともNYの緊迫した状況が伝わってきた。ただテロがあったとしてもこの北のプレーリーを車で走っていると緊迫感や緊張感は全くなく、ボブも今までNYに行く理由はなかったので、まるで中近東のテロ話に聞こえた。

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