ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

新・農業経営者ルポ

不屈の夫婦~飛ぶ夫、受ける妻~


初めは素人だった敏朗も、いまでは放牧養豚のコツを押さえている。一つは、子豚には初めに濃厚飼料を与えず、野生の草木だけを与えることだ。すると、土に慣れて耕作放棄地の雑草処理に活躍してくれる。同時に、ミネラルの摂取もできるようになる。もう一つは、柵として使用している電牧を覚えさせることだ。一度触れると近寄らなくなるため、放牧場から外に出ることはなく、山沿いの耕作放棄地の一角でも放牧できる。
こうして試行錯誤で放牧養豚に慣れ、ようやく初出荷を目前に控えたとき、またもや不運に見舞われる。
「O-157騒動の後、やっと2億円近くまで売上が回復したときだった。今度は東日本大震災の原発事故が起きました」
さすがの敏朗も顔を曇らせる。震災直後から風評被害に至るまでの経緯を次のように説明した。
「原発の水素爆発後の15日には従業員を自宅待機させた。物流事業用のトラックは、郡山の人たちをはじめ、福島県内の避難所へ食料を運ぶための緊急車両として使った。12日には生産物すべての出荷を止めた。悪い予想は当たり、主力のスプラウト類、サンチュ、豚、新たに始めたばかりのミョウガは福島県産というだけで出荷できなかった。カイワレダイコンや豆苗などのスプラウト類は一時、盛り返したが、その年の7月に他県の食品から放射能が検出されたのを機に、福島県産はついにまったく市場に受け入れてもらえなくなった。軌道に乗りつつあったミョウガは出荷先がすべて県外だったため、全量出荷停止となった。サンチュは、取引先の指示で放射能を計測した。最も多いときで一ケタ台の放射線量(Bq)が検出されたが、問題ないレベルだったため、不幸中の幸いでサンチュだけは出荷することができた」
降矢農園のある川曲集落は、原発の場所から距離的には近いが、風向きのせいか空間線量が低いエリアだという。敏朗は線量計を手に実際に測って見せた。
「空間線量は現在、0.05Bq。放射線量は、山の中が高いわけではなく、どこに雨が降ったかによる。いままで一番高いときで0.25Bqだった」
夫妻にとっても意外だったのは、放牧していた豚からも放射線量が検出されなかったことだ。福島県が9月に血液検査まで行なったが、検出されなかったという。それ以前に屠畜場で検査したときも6Bqにとどまっていた。夫妻によると、放射線は摂取しても体外に排出されるため、毎日摂取しないと蓄積されないのだという。
放牧養豚の豚はその後、順調に出荷している。精肉は、放牧養豚の肉質の良さを認めてくれたレストランに出荷し、ソーセージなどの加工品は一般販売している。

関連記事

powered by weblio