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廃業か移転か? 二つに一つ
そして42年に畜舎を増設。頭数も2倍の60頭に増やした。それまでのちょうど2倍の規模だから収益も2倍になると見込んでいた。
「そっちの方ばかりに頭がいっていたんですね。実際始めてみたら、餌も労力も出てくる堆肥も2倍。堆肥はもう自分の山に捨てるしかない。今考えるともったいない話ですけど、どんどん捨てるしかなかった」
集落の中に牛舎があったので、悪臭やハエに対する苦情が発生し、保健所から指導を受けることも少なくなかった。その上、頭数が増えた分、牛自体に目が行き届かなくなってしまっていた。
「朝、牛舎に行ってみると、突然牛が死んでいたことがたびたびありました。これはもう、牛を止めるか、牛舎を移転するか、二つに一つしかないと…」
同じように牛を飼っていた先輩にも、義父の研治さんにも、「止めた方がいい」と言われたという。それなのに、
「ここで止めたら、自分が負けたことになる。今までやってきたことは、一体何だったのかって」
どうしても、どこかに移転して牛を飼い続けたい。そこで、自ら方々を歩き回り、結局自家で所有の山林の中の一角に移転先を見つけた。以前は芋や雑穀を植えていた所で、当時は雑木林になっていた。そこを整地し、新たに牛舎を建てることを決意したのだ。
それにしても、周囲の反対を押し切ってまで、八重子さんを移転に踏み切らせたものは、一体何だったのだろう。
「私は結婚前に1年勤めてたでしよ。同じ年代でも、お勤めを続けている人たちは、お化粧をしてきれいな服を着て働いている。ところが、農家の女の人は、いい物を着たらいけん。着たってどうせ汚れるんだからもったいないって言われるんですね。そんな自分をものすごぐ惨めに思ったわけです。でも、いつも思っていました。いつか給料取りの人たちと同じになる。負けるものかって」
そうして家族を説得し、昭和50年、傾斜地を埋め立てて新しい牛舎を完成させた。建築費は総額1000万円。取引先の(有)秋吉台肉牛ファームが銀行から資金を借入れた資金を、月額10万円、10年かけて返済する形をとった。
規模もそれまでの60頭から、一気に120頭に拡大。悪臭やハエの問題は移転で解決できるものの、労働効率や糞尿の処理など、課題は山積していた。この頃から研治さんは、体が弱り、痴呆の症状も出始めていた。八重子さん一人で牛の管理が行き届くような、労働効率のよい牛舎が必要になる。何度も牛舎の設計図を書き換えた。
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編集部
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