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農業界では、なぜ農業を “特殊”なものにしたがるのか
昔は、お米を大切にしなさい、お百姓さんに感謝しなさいと言って、農業を特別視していました。食管法というのはその代表例です。しかしいまはまったく逆です。なぜでしょう。それは唯一の理由からです。食糧が不足時代から過剰時代へと変わったからです。
過剰になったのは食物だけではありません。すべてのものが過剰時代に入って、消費者が王様になりました。日本での食物の過剰は昭和47年から始まりました。これは、日本社会の高度成長時代の終わりと一致しています。
人は、不足の時、野獣になります。少しばかりの余裕を持つことで人は“人間らしく”なれるのです。これは社会を見る眼の本質にかかわることですから、しっかり認識して下さい。日本でも本当に人間を大切にする時代がやってきたのです。ちなみに“米”が過剰に転じたのは昭和39年、東京オリンピックの年からです。
ものが過剰の時代になりますと、社会や経済の関係が一変します。そして、人々がそのことに気付くのは、それから10年くらい経ってからでした。昭和50年代後半から、脱工業化社会へと歩を進めることになりました。
もの不足の時代、農業者は尊敬され、大切にされました。国家予算の多くを、農村へ注いできました。いま、過剰時代になって、都市の人々から反撃をくらっています。
しかし、再び農業を特別に大切にしてくれる時代の再来を農業が望んでは、自分達の命取りになるのではないでしょうか。それは二つの意味で危険であると思います。
やがて食糧危機がくるから、農業を特別なものとしようという企みがあります。もし、本当に食糧危機がやってきますと、人間は獣になってしまうのですから、戦争になります。天然資源、とりわけ、エネルギー源のない日本は、ひとたまりもなく国を滅ぼしてしまいます。ですから、食糧危機を迎えないように、世界中へ出かけていって、進歩した目本の農業技術の普及を図るべきです。農業にとっても戦争のない社会が望ましいはずです。
二つめの理由は、食糧不足が現実の問題となれば、再び日本の農家は国家の鎖につながれてしまうということです。そこでは人間らしい自由な活動は望めないでしょう。
食管法や農地法がいかにも農業を保護しているように見えますが、私から見ると、農家を土地に縛りつけていた奴隷法にしか見えません。どんなものも見方を変えて見ることが大切です。せっかくWTO体制になって農家が自由になったのに、何でその自由を捨てたいと思うのでしょうか。日本の農家は、大閤検地以来、400年にわたって、土地に釘付けにされていたのです。
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西田真二
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