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なぜ「カルビーポテト」という産地卸しを設立した
昭和50年、カルビーはポテトチップス市場の開発に着手しました。それまでの日本のチップ市場は、23年の歴史がありながら年間百億にも満たない小さなものでした。
それから10年後の昭和60年には、1000億円に達する大きな市場になり、原料バレイショの供給は全量国産で30万tにもなりました。これは日本のバレイショ生産の10%を越える数字です。
こんな大きな市場になるチャンスは二つの流通を変えることによって生まれたといえます。ひとつは、フレッシュなポテトチップスを買えるようにする、商品流通の改革でした。他のひとつは、原料流通、すなわち、農家とチップエ場をつなぐ関係の改革でした。
二つの流通の改革によって、ポテトチップスを愛好する消費者とバレイショ農家とが、チップエ場を媒介にして結びつくことができました。そして、大きな市場を実現したわけです。
このことは、昭和50年代という過剰時代を象徴する出来事のひとつです。しかし、流通改革が簡単に進んだわけではありません。
原料の流通の改革とは何だったんでしょうか。二つの鍵がありました。ひとつは365日の消費に応えること。すなわち、通年の供給を実現することです。もうひとつの鍵は、工場で必要とする品質を知ることです。
365日の必要にピッタリの品質で原料を供給できることによって、ポテトチップスの大きな市場ができました。まさに消費者に密着することで新市場ができるのです。
しかし、需要に密着するということは、なかなか難しいことです。はじめ、農家と工場は争いばかりしていました。そこで、私は、カルビーと農家との間にカルビーポテトという産地卸会社を作って、両者の利害対立を調整することにしました。昭和55年のことです。それまで、カルビーの原料バレイショの調達は加工メーカーであるカルビーの原料調達部門が当たっていたわけですが、その部門を力ルビーから独立させたわけです。新しく作ったカルビーポテトは産地卸しですから、カルビーにバレイショを調達するだけでは会社として存在理由がありません。産地のバレイショをカルビー以外への仕向け先へ流通させることや、産地に対しては仕向先を開拓しながらバレイショ以外の作物について流通業者として取り組むことも進めてきたわけです。それによって、産地での機械の有効利用や輪作の工夫も出てくるのではないかと考えています。
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西田真二
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