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同伴者たち

産地価格で国際比較をするから日本農業の可能性も見えない!/カルビー(株) 社長 松尾雅彦

加工工場や外食の側から見た期待される農家像とは何か?


 伸びている加工や外食の側から見ますと、安心して仕入れすることができるところということになります。安心のもとは、品質と供給の信頼性、そして改良や改善活動に熱心なことです。信頼をつくり、そして信頼を維持するためには、日々、技量の改善に努力することが大切です。お客様の好みは、どんどん変化しますから、改善活動を怠らないことが大切です。

 この信頼性をつくり、維持することを経営と言うのでしょう。冒頭に言いましたが、マーケティング、マネジメント、そしてテクノロジーです。自分の土地に合った経営を考えることです。実務家の考えは三現主義ですから、現場、現実、現時点を見つめて、ムリ、ムラ、ムダをなくしてゆくことです。

 穀物は別ですが、米国でも40年前は 70%が青果市場流通、すなわち、主婦対象の農業でした。しかし、今では、60%以上が、加工向けや外食向けになってきました。お米で言えば、主婦の電気釜から、コンビニのおにぎり屋さん、お弁当屋さん、お寿司屋さんなど、料理の専門家相手の需要が猛烈に増えているわけです。

 農業を経営に変えるのはお客様に専門家を選ぶことが早道です。自分の生産物の半分をこういった専門家にまかせれば、販売は計画的になり、技術の進歩を促され、経営の充実を図ることができるでしょう。


あらためて、農業は特殊じゃない。その強調がエゴを生む


 農業の特殊性を強調する人達は、有機だとかエコロジーだとか、もっともらしいことを言って農業が人間の本来をすべて背負っているような重たい話にしてしまいます。きちんとした考えで農業を改善してゆけば、必然的にそういった方向に向かうわけで、それはとりたてて語ることでも、それをもって農業の特殊性を示すものでもありません。医療で薬を使わないで、人間の治癒力を活かそうという話と同じことなのです。

 特殊性を強調することの怖いことは、生産者のエゴがでてくることです。それは、まちとむらが手を結んだり、加工需要や外食需要と手を結ぶことの妨げになることです。まちの人々と手を携えて有機を実現することがエコロジーにかなうことです。

 有機とか、エコロジーは、消費(排泄)との調和が原点です。

 とにかく、農業に明るい未来があるのですから、積極的な明るい見方をすれば、どんどん知恵が泉のように湧いてくるはずです。

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