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農業経営者ルポ

父が先生、畑が学校だった我々三兄弟

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第19回 1996年10月01日

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 返済せねばならない借金も多いし、仕事も大変だ。もっと楽な暮らし方も出来るかのもしれないが、それではつまらない。経済を含めてもっと大きな夢の実現のために若い夫婦が、家族や仲間と苦労を共にしながらチャレンジしていく。その姿を見て子供たちが育っていく。子供にとってそんな素晴らしい人生の体験を与えられる教育が他にあるのだろうか。

 学校教育で与えられる知識や体験が不要だなどというわけではない。そもそも子供を育てるとは、一人の人間として恥ずかしくなく飯が喰えるようにさせること、そして夢を見ることを伝えることなのではないか。むしろ、世の多くの親たちは、自らの人生にも自信を持てないまま、自分白身の生き様では何も子供に伝えることができないでいる。今ある与えられた価値基準に従って学校に入れ、塾に通わせることしかできぬ親たちからすれば、寺島農場、寺島一家の存在は憧れかもしれない。

 しかし、こんな3人の息子たちを後継者として持った隆治氏は、特別に農業後継者を育てようなんて思ってきたわけではあるまい。ただ隆治氏は、彼自身の農家としての夢を実現しようと邁進してきただけなのではないだろうか。もし、息子たちに受け継がせたいもの、伝えたいものがあったとするなら、それは隆治氏自身の生き方であり人生そのものなのではないだろう。

 そして、その隆治氏の生き方、家族の暮らしが、3人の兄弟を農業へと向かわせた。あえて困難と思える道を歩もうとさせた。子供たち3人が学んできた人生の学校とは、父の畑であり、今、自分たちで築き上げようとしている有限会社寺島農場なのである。そして、父親が、母親が、そして仕事の中で出会う人々こそが真の先生だったのだ。

 息子たちは自分たちで伴侶を見つけ、結ばれた。その妻たちも、資本もなく新たな事業に取り組むことでの経済的困難を承知の上で結婚を望み、今、全員で泥まみれになりながら未来を築こうとしている。そして、それぞれの夫婦が子供を持ち、今度は息子たち夫婦が、彼らの親がそうであったように、彼ら自身が生き方において子供たちを育てようとしているのだ。

 「農業は儲からないから継ぐ者がいない」「だから農家にはお嫁さんが来ない」などという人がいる。

 しかし、寺島家の人々をみて、その人たちは何というのだろうか。そして、その人たちは子供に何を継がせようというのであろうか。果たして儲からないから子供たちは農業を継がないのか。農業の仕事が大変だから農家には「お嫁さん」が来ないのだろうか。

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