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Opinion

「ローソン」より「ノーソン」が好き

  • (有)ベネット 代表 青木隆夫
  • 2005年07月01日
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先日、岩手県軽米町に「ノーソン」という直売所を訪ねた。素直なのか、農業で損ばかりしている農村という自虐的意味なのか、面白いネーミングだ。月に3回、2日、12日、22日と市の立つ日だけ開店する。外では串もちや田楽を焼いている。
 先日、岩手県軽米町に「ノーソン」という直売所を訪ねた。素直なのか、農業で損ばかりしている農村という自虐的意味なのか、面白いネーミングだ。月に3回、2日、12日、22日と市の立つ日だけ開店する。外では串もちや田楽を焼いている。粗野ではあるが「ローソン」のレジの前と同じような仕組みだ。お祭り気分の人たちがこれに釣られる。朝のうち商品はあるが、売り切れごめんの殿様商売(?)で人気を集める。売上は1日20~30万円。農家の主婦が集まってやるのだから、これで十分だという。私は「もっと稼げるのに、もったいない」とその時は思っていた。

 さて、わが家の近くに「99円ショップ」ができた。100円ショップとの違いは肉、野菜、果物を99円で取り扱っていることだ。彼らは一手間かけて99円で売れる荷姿に野菜を直す。半分のキャベツ、2本入りキュウリ……という具合である。手をかけただけ鮮度はよくないが、狭い売場にそれなりの品揃えをしている。日陰者の中国産のネギやフィリピン産のアスパラなど輸入野菜も胸を張って陳列されている。24時間営業だから、通学時に弁当を買う高校生もいる。

 朝のNHKでも東京都内に「ローソン」が同様の100円ショップを出店したことが紹介されていた。一日3千人が来たという。ここでも青果物が目玉のようだ。売れない食材は弁当に使えば安くできる、というあからさまな話にも驚いたが、その社長が語るには、商品の幅と客層を広げることで「便利=コンビニエンス」の追求には、まだまだ将来性があるという。

 彼らの野菜はほとんどが市場―仲卸経由だろう。しかし、そのうち市場だけではおもしろくなくなるはずだ。もし、声をかけられたら、生産者は慎重にこの手合いと付き合わなくてはならない。最初はマスコミを使い賑やかだが、そのうちびっくりするくらいケチでずるい交渉が始まるはずだ。万事抜け目のない一部の生産者であれば太刀打ちできるだろうが、契約や商取引に慣れていない普通の農家は簡単に捻られてしまう。

 と、思っていたら、今度は夕方の番組で不揃いの規格外品を若い生産者から直接仕入れているとの内容。彼らはすでに抜け目なくやっていたのである。放送では、無駄を省いて安く売る結構な話のように聞こえてくる。私が気に食わない理由がそこにある。

 つまり、量販店そしてコンビニが小売のシェアを持てば持つほど、日本人の野菜消費量は下がってきている。「便利」を売るあまり、消費者は季節感や食材の調理能力を無くしてしまったのである。精肉も鮮魚もしかりである。それは、日本農業の生産力を下げただけではなく、結果として自らの首を絞めることになっているのだ。

 それが、今度は自ら作った市場規格を壊そうとしている。何でも買い入れるという約束の中で農産物の味を含めた品質向上が図れるのだろうか。もちろん相場にも悪影響を及ぼすだろう。彼らは「いらっしゃいませ、お客さま。ご満足をご提供させていただきます」、慇懃無礼な言葉遣いと45度の低頭の裏でバカな消費者を育て上げ、それだけでは物足りず生産者もバカにしようとしているのである。

 売上では比較にならないが、岩手の「ノーソン」では親戚に分けるほど買う親子と、自慢の加工品や旬の山菜を威張って販売している農家のおばちゃんたちが楽しそうに話をしている。不便かもしれないが、こちらのほうが消費者も生産者もよほど健全な精神を持っているのではないだろうか。

 僕は「ローソン」より「ノーソン」が好きだ。

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