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硬盤層の形成は、不透水層が形成されたとみてよい。そのことによる排水性の悪化は湿害をもたらす。そればかりではない。硬質層は根の下層への伸びを抑制してしまうので、根圏域を狭めることになる。それはそのまま養分吸収領域の制約であり、かつ、作物は下層から水分を吸収することができないので、旱魅害をまともに受ける結果となる。
畜力時代は、10cmほど下にかなり硬い層が形成されていた。層の厚さは3cmから5cmであったが、叩くとコンコンと音がする程であった。長い間、浅く、同じ深さに耕起された結果であることから「犂底盤」と呼ばれていた。
トラクタの時代になって、畜力時代の「犂底盤」を破砕することができるようになった。トラクタの普及と共に、各作物例外なく生育が安定し、増収の一途をたどったのは、一般産業が発達して、その副産物として化学肥料が使えることになったこともあるが、基本的には、深耕による「犂底盤」の破砕効果と考えて差し支えない。
さて、現代に「犂底盤」が存在しないのかといえば、れっきとして存在するのである。九州のある地方でポテトハーベスタの導入を検討していたときのことである。わずかの降雨で圃場が水没しそうになったのである。しかも、降雨が止んでもなかなか水が引かない。当初土質の違いかと考えていたが違っていた。硬盤層が形成されていたのである。
水の引けるのを待ってポテトハーペスタを入れてみることにした。一通りの作業はできるが、塊茎の損傷を少なくするために、深くショベルを入れてクッション役の土量を多くしようとすると、そのショベルが入らないのである。おかしいと思って土壌断面を調査すると、畜力時代と同じ硬盤層が形成されていたのである。
なぜ? とその原因を探ると、長い間のロータリティラによる硬盤質の形成である。ロータリティラもせいぜい10cm位しか耕起することができない。毎年、浅く、同じ深さに耕起すれば、トラクタや人間の踏圧、それにブレードの動力も加わって硬盤層が形成されるのである。これは「ロータリ耕底盤」と称されるべきものであろう。
九州のバレイショが比較的湿害を起こさなかったのは大きな培土で塊茎分布周辺の排水を良くしただけのことに過ぎない。しかし、バレイショ圃場とて深耕し圃場全体の排水を良好にすればもっと増収するのである。これは北海道で例証されていることである。
耕すということは、土壌の潜在能力を活用すると同時に土壌を保全するものでなければならないものである。ロータリティラは、耕起と砕土を兼ね手軽に使えるから便利とされているが、所詮、深耕はできず、攬土耕である。硬盤を形成させて本来の土壌の能力を発現させず、また、ボトムプラウのような反転・鋤き込みは望めず、土壌のリフレッシュに不満が残る。小規模経営といえどもロータリテイラから脱皮しない限り、技術の停滞を指摘されても仕方がないであろう。
畜力時代は、10cmほど下にかなり硬い層が形成されていた。層の厚さは3cmから5cmであったが、叩くとコンコンと音がする程であった。長い間、浅く、同じ深さに耕起された結果であることから「犂底盤」と呼ばれていた。
トラクタの時代になって、畜力時代の「犂底盤」を破砕することができるようになった。トラクタの普及と共に、各作物例外なく生育が安定し、増収の一途をたどったのは、一般産業が発達して、その副産物として化学肥料が使えることになったこともあるが、基本的には、深耕による「犂底盤」の破砕効果と考えて差し支えない。
「ロータリ耕底盤」は現代の「犂底盤」
さて、現代に「犂底盤」が存在しないのかといえば、れっきとして存在するのである。九州のある地方でポテトハーベスタの導入を検討していたときのことである。わずかの降雨で圃場が水没しそうになったのである。しかも、降雨が止んでもなかなか水が引かない。当初土質の違いかと考えていたが違っていた。硬盤層が形成されていたのである。
水の引けるのを待ってポテトハーペスタを入れてみることにした。一通りの作業はできるが、塊茎の損傷を少なくするために、深くショベルを入れてクッション役の土量を多くしようとすると、そのショベルが入らないのである。おかしいと思って土壌断面を調査すると、畜力時代と同じ硬盤層が形成されていたのである。
なぜ? とその原因を探ると、長い間のロータリティラによる硬盤質の形成である。ロータリティラもせいぜい10cm位しか耕起することができない。毎年、浅く、同じ深さに耕起すれば、トラクタや人間の踏圧、それにブレードの動力も加わって硬盤層が形成されるのである。これは「ロータリ耕底盤」と称されるべきものであろう。
九州のバレイショが比較的湿害を起こさなかったのは大きな培土で塊茎分布周辺の排水を良くしただけのことに過ぎない。しかし、バレイショ圃場とて深耕し圃場全体の排水を良好にすればもっと増収するのである。これは北海道で例証されていることである。
耕すということは、土壌の潜在能力を活用すると同時に土壌を保全するものでなければならないものである。ロータリティラは、耕起と砕土を兼ね手軽に使えるから便利とされているが、所詮、深耕はできず、攬土耕である。硬盤を形成させて本来の土壌の能力を発現させず、また、ボトムプラウのような反転・鋤き込みは望めず、土壌のリフレッシュに不満が残る。小規模経営といえどもロータリテイラから脱皮しない限り、技術の停滞を指摘されても仕方がないであろう。
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村井信仁
農学博士
1932年福島県生まれ。55年帯広畜産大学卒。山田トンボ農機(株)、北農機(株)を経て、67年道立中央農業試験場農業機械科長、71年道立十勝農業試験場農業機械科長、85年道立中央農業試験場農業機械部長。89年(社)北海道農業機械工業会専務理事、2000年退任。現在、村井農場経営。著書に『耕うん機械と土作りの科学』など。
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