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女の視点で見る農業経営

牛乳をつかったお菓子の店を出せたらいいなあ

これまでは、どちらかというと「お嫁さん・奥さん」を紹介することが多かったこの「女の視点で見る農業経営」のページだが、今回紹介する栃木県那須郡塩原町の渡追浩美さん(33歳)は、酪農家に生まれ育った『娘さん』である。毎朝5時、昨年7月に新設したばかりの牛舎へと足を運び、夫の透さん(33歳)とともに搾乳作業に精を出している。「私は、朝は3時起きでも4時起きでもへっちゃら。どんなに早くても目覚まし時計なしで起きられるんです」とニッコリ。
 これまでは、どちらかというと「お嫁さん・奥さん」を紹介することが多かったこの「女の視点で見る農業経営」のページだが、今回紹介する栃木県那須郡塩原町の渡追浩美さん(33歳)は、酪農家に生まれ育った『娘さん』である。

 毎朝5時、昨年7月に新設したばかりの牛舎へと足を運び、夫の透さん(33歳)とともに搾乳作業に精を出している。「私は、朝は3時起きでも4時起きでもへっちゃら。どんなに早くても目覚まし時計なしで起きられるんです」とニッコリ。さすが学生時代から15年近く家業を手伝っていたキャリアの持ち主である。渡遵牧場の酪農は、牛舎の牛を1力所に集め、12頭ずつ交代で搾っていくフリーストール方式。牛が搾乳所に入ると同時にセンサーが牛の登録番号を読み取り、搾乳が終わると、その牛の乳量が即座にインプッ卜される。パソコンからデータを読み取れば、牛の状態が一目瞭然という最新の個体管理システムを導入している。「私は機械が苦手なので、最初は戸惑いましたけど、透さんのお陰でだいぶ慣れてきました」

 夕方5時の搾乳には、学校から帰ってきた長女のゆずは(6歳)ちゃんも参加。真っ赤なツナギを着て、棒を片手に牛たちを追い込むのが彼女の仕事。小さなゆずはちゃんは臆することなく、どんどん追い込んでいく。今から「私、大きくなったら牛飼いになる」と張り切っている。これはまた、昔の浩美さん自身の姿なのかもしれない。


私が継がなくちゃ


 透さんと浩美さん夫婦が4代目となる渡遺家は代々この地で農業を営んできた。父の勝雄さんは昭和30年代、おもな現金収入として葉タバコを栽培する他、自家飯米用の米、麦、小麦などを作っていた。当時は農耕用の馬と乳牛を2頭飼っていた。転機が訪れたのは昭和45年。国から転作奨励金が出る一方で、那須地域全体で稲作から酪農へ切り替える新しい農業を模索する気運が高まっていたのだ。「俺自身牛が好きだったし、地域全体に盛んに牛を増やそうという意気込みがあった」と勝雄さん。そして乳牛15頭を導入。自分の牛舎で生まれた雌の子牛をそのまま育成し、頭数を徐々に増やしていくスタイル。昭和50年代半ばには、倍の32頭になっていた。

 一方、長女でひとりっ子の浩美さんは、「中学生ぐらいから、お前は跡取りだと。私が継がなきゃって気持ちはその頃からありましたね」

 迷わず那須農業高校(現=拓陽高校)生活科へ進学。本来なら畜産科へ進むところだが、そのクラスは全員男子だった。「頼めば入れてくれたのかなあ。今はだいぶ増えたみたいですけど」

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