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【江刺の稲】
保護の中で衰退してきた日本農業から脱出しよう
- 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
- 第109回 2005年03月01日
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1、2月号での「脱・敗北主義」には大方の読者には共感を頂いたようだ。また日本農業新聞による本誌広告に対する反応も例月をはるかに越え、農業に関わる人々の気分も変ってきたようだ。それを受けてもう少し話を続けてみたい。
お手元の2月号23頁を開いていただきたい。話題になっている端境期の米国産加工用ジャガイモ輸入解禁を想定して、ジャガイモのキロ当りの輸出価格と輸入価格を調べてみた。このうちご注目願いたいのは香港(49円)、韓国(37円)および東南アジア諸国(32~49円)での輸入価格である。ただし国際市場での市況にも変化があり、さらに季節的な品質の差もあることから加工工場で実際に使える歩留まりは変動する。そのためこの価格が絶対的なものだとは言えない。一方、これに対する日本国内産の場合、北海道産の本州着値で40~60円、九州産を中心とした端境期の生産者価格は69円程度である。
これをどう思うだろうか。その価格差を見て「かなわない」「輸入物に負ける」とする考え方を敗北主義だと本誌は考える。それと同等とは言わずとも、そのレベルに挑戦しようと農業経営者たちは思わないのだろうか。そのチャンレンジ精神があればジャガイモは十分に競争力の持てる作物だ。
もっとも、単純な単価比較をすることは誤解の元である。見掛けの単価は高くてもその価格で全量が売れるわけでもなく、ましてや出荷に少なからぬコストや手間がかかっているではないか。単価を言う前に利益の出せる経営とは何なのかを考えるべきだ。平均的なレベルとの比較ではなく優れた人と比べてあなたの水準はどのレベルにあるのか。ジャガイモに限らずそんな経営の考え方や出荷体系を変えることでコストや利益構造が変ることをどれだけの人が考え、それに取り組んでいるだろうか。
もう安楽椅子に座ったままチャンレンジを忘れた敗北主義や被害者意識に安住するのを止めにしよう。しかも、商品開発やマーケティングの面から言えば、コストの差だけでは語りきれない国産ジャガイモの市場価値があることも忘れてはならない。
時代は変化していく。それに取り残されて被害者顔をしても、もう通用しない時代になっているのだ。
さらに注目願いたいのは、そこに示した世界における収量の比較である。その表を見ると日本のジャガイモの平均収量は2.73t(21位)。最高収量のニュージーランド(4.42t)と比較すると1.69tもの差があり、その約57%に過ぎない。しかも、日本のジャガイモ需要で一番大きなウエイトを占めているのは澱粉原料用だ。加工用などと比べ、澱粉原料用のイモは多収で品質を問われないにもかかわらず、この平均収量差なのだ。さらに収量水準は日本でも上昇しているものの、欧米先進国と比べ、その差は年々広がっているということも忘れてはならない。これは、手厚い保護の中にある(むしろ保護の中にあればこそと言うべきだろう)麦やビートや大豆においても同様だ。さらに日本農業の中心作物であり、さらに手厚い保護と壮大な研究開発費が投じられてきたコメですら、すでに日本の収量水準は世界に取り残されているのだ。
こんな安楽椅子にへたり込んだままの日本農業でよいのか。いや、日本農業などどうでもよい。あなたはそんな自分の経営に満足するのか?
お手元の2月号23頁を開いていただきたい。話題になっている端境期の米国産加工用ジャガイモ輸入解禁を想定して、ジャガイモのキロ当りの輸出価格と輸入価格を調べてみた。このうちご注目願いたいのは香港(49円)、韓国(37円)および東南アジア諸国(32~49円)での輸入価格である。ただし国際市場での市況にも変化があり、さらに季節的な品質の差もあることから加工工場で実際に使える歩留まりは変動する。そのためこの価格が絶対的なものだとは言えない。一方、これに対する日本国内産の場合、北海道産の本州着値で40~60円、九州産を中心とした端境期の生産者価格は69円程度である。
これをどう思うだろうか。その価格差を見て「かなわない」「輸入物に負ける」とする考え方を敗北主義だと本誌は考える。それと同等とは言わずとも、そのレベルに挑戦しようと農業経営者たちは思わないのだろうか。そのチャンレンジ精神があればジャガイモは十分に競争力の持てる作物だ。
もっとも、単純な単価比較をすることは誤解の元である。見掛けの単価は高くてもその価格で全量が売れるわけでもなく、ましてや出荷に少なからぬコストや手間がかかっているではないか。単価を言う前に利益の出せる経営とは何なのかを考えるべきだ。平均的なレベルとの比較ではなく優れた人と比べてあなたの水準はどのレベルにあるのか。ジャガイモに限らずそんな経営の考え方や出荷体系を変えることでコストや利益構造が変ることをどれだけの人が考え、それに取り組んでいるだろうか。
もう安楽椅子に座ったままチャンレンジを忘れた敗北主義や被害者意識に安住するのを止めにしよう。しかも、商品開発やマーケティングの面から言えば、コストの差だけでは語りきれない国産ジャガイモの市場価値があることも忘れてはならない。
時代は変化していく。それに取り残されて被害者顔をしても、もう通用しない時代になっているのだ。
さらに注目願いたいのは、そこに示した世界における収量の比較である。その表を見ると日本のジャガイモの平均収量は2.73t(21位)。最高収量のニュージーランド(4.42t)と比較すると1.69tもの差があり、その約57%に過ぎない。しかも、日本のジャガイモ需要で一番大きなウエイトを占めているのは澱粉原料用だ。加工用などと比べ、澱粉原料用のイモは多収で品質を問われないにもかかわらず、この平均収量差なのだ。さらに収量水準は日本でも上昇しているものの、欧米先進国と比べ、その差は年々広がっているということも忘れてはならない。これは、手厚い保護の中にある(むしろ保護の中にあればこそと言うべきだろう)麦やビートや大豆においても同様だ。さらに日本農業の中心作物であり、さらに手厚い保護と壮大な研究開発費が投じられてきたコメですら、すでに日本の収量水準は世界に取り残されているのだ。
こんな安楽椅子にへたり込んだままの日本農業でよいのか。いや、日本農業などどうでもよい。あなたはそんな自分の経営に満足するのか?
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昆吉則 コンキチノリ
『農業経営者』編集長
農業技術通信社 代表取締役社長
1949年神奈川県生まれ。1984年農業全般をテーマとする編集プロダクション「農業技術通信社」を創業。1993年『農業経営者』創刊。「農業は食べる人のためにある」という理念のもと、農産物のエンドユーザー=消費者のためになる農業技術・商品・経営の情報を発信している。2006年より内閣府規制改革会議農業専門委員。
江刺の稲
「江刺の稲」とは、用排水路に手刺しされ、そのまま育った稲。全く管理されていないこの稲が、手をかけて育てた畦の内側の稲より立派な成長を見せている。「江刺の稲」の存在は、我々に何を教えるのか。土と自然の不思議から農業と経営の可能性を考えたい。
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