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【Opinion】
コメは年金になったのか?
- 東北大学農学部 助教授 大泉一貫
- 2005年01月01日
1、新潟県で聞いた話。ある市で、産地づくり交付金のおよそ7000万円が行き場を失っているという。この市ではおよそ2億5000万円が交付されると計画して申請したが、秋になってみると水田大豆の作付が計画よりはるかに少ないことがわかった。売れるコメ作りを標榜する米政策改革元年、現地確認がなくなったこともあり、コメに変わったのではないかと言う。
これを聞いて、さすが新潟はコメ販売に自信を持っていると感心したりもした。消費者が見えない大豆を仕方なく作るより、消費者に喜んでもらえるコメの方がプロの農家にとってははるかに意欲がわくと言う。2004年は結果として水害や台風被害によって、過剰は回避された。
2、この話を東北農政局にしたら、東北ではそんな話は聞かないと言う。地域水田農業ビジョンがしっかりしていたせいではないか、と言う。
東北のコメ販売に自信を持っていないようだ。2003年は政府米処理で全体の販売数量は増えたが、本来の販売は好調とは言えない。「売るのは難しい」と考える人が多い。
ただ、これからは新潟でのようなことが頻繁に起きるのだろう。販売登録者がコメの売れ行きを見て生産調整数量を決めるとしたら、2003年のような地域一律割り当てとはどこかで齟齬(そご)を来す。
3、宮城県のある建設業者は2003年から稲作に新規参入し、70haの作業受託や経営受託をはじめた。彼らは委託元の農家に生産調整はしなくていいと言い切っている。全量売ると豪語しているのだ。
これに対し宮城県農協中央会は当然ながらフリーライダー(タダ乗り)だと非難している。この会社、どこへどう販売しているのかわからないが、販売代金を実際に農家に支払っているというのは、ちゃんと売っているということなのだろう。
売れているのに、「生産調整するなとあおるのはけしからん」という中央会も情けない。制度として認められているのだから、この逆恨みでしかない。ただ、中央会の主張が受け入れられている部分もある。「そんなことをしたら米価が下がってしまう」というわけだ。
4、これは食管法の時代だから農民に取り付いた発想だ。「米価が下がって何か悪いことがありますか?」。私はいつも聞いて見るのだが、彼らは一様に驚き、「下がってもいいんですか?」と再度聞きかえしてくる。
ここで改めて思うのは、農家はコメをどの様な商品だと思い、何のために稲作をやっているのかということだ。「そりゃいろいろでしょうね」―――答えはいつもひとごとだ。
5、大衆向けであれば、価格を上げるのは難しい。だが、うまく小口化、差別化ができれば、価格を上げることはできる。コメの差別化は難しいと言われるが、一部ではキロ千円のコメがお客様に喜ばれている。
だが、そんなマーケティングの工夫によらず、生産調整やら、価格センター取引などによって米価が維持されているのは周知の事実だ。マクロ経済的に見れば、このようなコメの価格維持行為は社会的コストが高く、消費者に不利益をもたらす社会問題がある。それをおかしいとは思わないのだろうか。それが稲作産業を弱体化させてしまったとは思わないのだろうか。
この点に関する農協の見解は「思わない」なのだろう。これをどう受け止めればいいのだろうか。
そこで思い当たったのが、年金だ。
年金と言っても、30年間かけて65歳から受給するといった仕組みではなく、掛け金は毎年のコストという1年完結型の年金である。そう考えれば、「米価は維持しなければならない」と何の疑問もなく言い放てる農協の考えもわからなくはない。
わが国の稲作は年金受給産業になり果ててしまったのか?
これを聞いて、さすが新潟はコメ販売に自信を持っていると感心したりもした。消費者が見えない大豆を仕方なく作るより、消費者に喜んでもらえるコメの方がプロの農家にとってははるかに意欲がわくと言う。2004年は結果として水害や台風被害によって、過剰は回避された。
2、この話を東北農政局にしたら、東北ではそんな話は聞かないと言う。地域水田農業ビジョンがしっかりしていたせいではないか、と言う。
東北のコメ販売に自信を持っていないようだ。2003年は政府米処理で全体の販売数量は増えたが、本来の販売は好調とは言えない。「売るのは難しい」と考える人が多い。
ただ、これからは新潟でのようなことが頻繁に起きるのだろう。販売登録者がコメの売れ行きを見て生産調整数量を決めるとしたら、2003年のような地域一律割り当てとはどこかで齟齬(そご)を来す。
3、宮城県のある建設業者は2003年から稲作に新規参入し、70haの作業受託や経営受託をはじめた。彼らは委託元の農家に生産調整はしなくていいと言い切っている。全量売ると豪語しているのだ。
これに対し宮城県農協中央会は当然ながらフリーライダー(タダ乗り)だと非難している。この会社、どこへどう販売しているのかわからないが、販売代金を実際に農家に支払っているというのは、ちゃんと売っているということなのだろう。
売れているのに、「生産調整するなとあおるのはけしからん」という中央会も情けない。制度として認められているのだから、この逆恨みでしかない。ただ、中央会の主張が受け入れられている部分もある。「そんなことをしたら米価が下がってしまう」というわけだ。
4、これは食管法の時代だから農民に取り付いた発想だ。「米価が下がって何か悪いことがありますか?」。私はいつも聞いて見るのだが、彼らは一様に驚き、「下がってもいいんですか?」と再度聞きかえしてくる。
ここで改めて思うのは、農家はコメをどの様な商品だと思い、何のために稲作をやっているのかということだ。「そりゃいろいろでしょうね」―――答えはいつもひとごとだ。
5、大衆向けであれば、価格を上げるのは難しい。だが、うまく小口化、差別化ができれば、価格を上げることはできる。コメの差別化は難しいと言われるが、一部ではキロ千円のコメがお客様に喜ばれている。
だが、そんなマーケティングの工夫によらず、生産調整やら、価格センター取引などによって米価が維持されているのは周知の事実だ。マクロ経済的に見れば、このようなコメの価格維持行為は社会的コストが高く、消費者に不利益をもたらす社会問題がある。それをおかしいとは思わないのだろうか。それが稲作産業を弱体化させてしまったとは思わないのだろうか。
この点に関する農協の見解は「思わない」なのだろう。これをどう受け止めればいいのだろうか。
そこで思い当たったのが、年金だ。
年金と言っても、30年間かけて65歳から受給するといった仕組みではなく、掛け金は毎年のコストという1年完結型の年金である。そう考えれば、「米価は維持しなければならない」と何の疑問もなく言い放てる農協の考えもわからなくはない。
わが国の稲作は年金受給産業になり果ててしまったのか?
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大泉一貫 オオイズミカズヌキ
東北大学農学部
助教授
1949年宮城県生まれ、東北大学卒業、東京大学大学院修了。農学博士。現在東北大学農学部助教授。専門は農業経営学、農業経済学。柔軟な発想による農業活性化を提唱。機関車効果や一点突破、客車農家など数々のキーワードで攻めの農業振興のノウハウを普及。著書に「農業経営の組織と管理」、「農業が元気になるための本」いずれも農林統計協会、「一点突破で元気農業」家の光、「いいコメうまいコメ」朝日新聞、「経営成長と農業経営研究」農林統計協会など。
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