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農業経営者ルポ

「有り難い」といい続けた祖母が自分に残してくれたもの

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第20回 1996年12月01日

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お米も、ただ作れば買って貰える時代は終わってしまった。自ら売る自覚をもって作る。その時、米生産者は初めて自立した農業経営者になっていく。直接お客さんの前に立つかどうかは別にしても、作れるだけでは経営者として半人前なのだ。
 お米も、ただ作れば買って貰える時代は終わってしまった。自ら売る自覚をもって作る。その時、米生産者は初めて自立した農業経営者になっていく。直接お客さんの前に立つかどうかは別にしても、作れるだけでは経営者として半人前なのだ。

 ところで、「産直」なんて特別の言葉を使うまでもなく、都市周辺の農業地帯には「行商」という農産物の販売形態が古くからあった。スーパーなどの量販店、様々なルートからの宅配による農産物販売、さらにはお米の自動販売機まで置かれる時代になって、行商は過去の販売スタイルであるかのように思われている。しかし、決して大きな商売ではないが、小さな商圏での商売スタイルとして今後とも形を変えて生き延びていくのであり、その中に新たなビジネスの可能性もあるのではなかろうか。


「売れた」のか「売った」のか


 田代耕一さんは千葉県印旛郡で10haの水稲生産をしている。同時に、祖母さんの時代から受け継いだ約100軒のお客さんを中心に行商もしている。多くは一般家庭だが病院のような大口消費者もある。

 今年、約1億円を投じて、籾貯蔵乾燥施設「ライスダム」をはじめ、クリーンルームの中に設置された5段階の選別機能をもつ精米施設など、一連の設備を装備した。高品質の乾燥と年間を通して品質を落とさない籾貯蔵設備、米専門店にも優る最高級の調製設備を装備した上で、行商で得た信用とそこで学んだ「商売の精神」を受け継ぐ米販売の店舗を開こうと考えているからだ。

 かつてこの地域には、「千葉のおばさん」と呼ばれる農産物を行商する農家の主婦たちが沢山いた。しかし、今はかつてのようなオバサンは少なくなり、田代さんのようにトラックを使い、家業としてやっていける人達が残っている。

 スーパーなどの量販店が増えたことや、働き場所が増え、思い荷物を背負う辛い行商の仕事が嫌われるようになったこともあるだろう。だが、それ以上に行商が減っていったのは、単に「売れる」時代から「売る」時代になったということなのではないか。

 物の無い時代であれば、誰でもお客さんのいる場所に持って行けば、ものは売れた。ただ人の居る場所に農産物を運ぶだけでよかったのだ。それは、商売というより農産物を運んでいただけなのだ。そこで売れたのは、「その人が売った」のではなく「モノが売れた」のである。だから、その時代の行商に必要だったのは重い荷物を運ぶことを我慢することであり、それさえできれば誰でもできたのかもしれない。しかし、モノが溢れ、どこでも何でも買える時代になっても行商を続けられてきた人達とは、もっと別な何かを持っていた。「その人」だから売れる何かを。

 田代さんは、こういう。

 「バアさんは、いつも『有り難い、有り難い』といってました。週に2度も自分の身体より重いような荷物を担いで売りにいくのは、今の自分らにはとてもできないことです。でも、バアさんは、お客さんが待っていてくれる、喜んで貰える、お客さんから『大変だね、御苦労様』といわれたって、いつも子供の私たちに話してました。現在の販売面の地盤を作ってくれたのは、なんといってもバアさんです。バアさんは死んでしまったけど、その孫が作っている米を、今、やはり世代交代したお客さんが買ってくれる。そして、その方たちが、私の作った米を持っていくと喜んで下さる。これはもう止められない。バアさんが作ってきたもの、やってきたことを無駄にしたくないですから」


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