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『連作障害』という前に

「連作障害」という言葉で自分を許していないか?

医学の世界では、かつて「成人病」と呼んでいた糖尿病や高血圧症のような症候群を「生活習慣病」と言い換えるようになっているという。成人病は成人になるから発病するのではなく、むしろその人の「生活習慣」に原因があるという理由からだ。「成人病」といえば、人が年を取れば止むを得ずかかる病気の様に聞こえるが、「生活習慣病」といわれてしまうと、それは、当人の「責任」であるということがはっきりしてくる。
 医学の世界では、かつて「成人病」と呼んでいた糖尿病や高血圧症のような症候群を「生活習慣病」と言い換えるようになっているという。成人病は成人になるから発病するのではなく、むしろその人の「生活習慣」に原因があるという理由からだ。「成人病」といえば、人が年を取れば止むを得ずかかる病気の様に聞こえるが、「生活習慣病」といわれてしまうと、それは、当人の「責任」であるということがはっきりしてくる。

 農業界で「運作障害」といわれているものの多くも、実は、我われ自身で畑を成人病状態にしてしまったことに起因しているのではないか。今、病に悩む方に対しては失礼な表現になってしまうが、糖尿病の人が相変わらす暴飲暴食を続け、その合併症の対策に様々な薬を使い、しかもその副作用に悩むといった図式は、多くの畑やハウスで「連作障害」をボヤキつつも根本的な解決策を取ろうとしない農業の姿とソックリだと、あなたは思わないだろうか。

 我々は、長年にわたり過剰な施肥を続けてきた。そして、その害を省みることもなく、結果として発生する合併症(連作合併症)に、またぞろ、対症療法の薬剤や資材を投入している。それは、我われが現在の土壌管理や施肥技術そして経営観の異常さに由来する「施肥習慣病」とでもいうべき症候群に陥っているということではないのか。にもかかわらず、安易に「連作障害」という言葉を使って、農業経営者自身の「責任」や「無知」の言い逃れをしているのではないか。

 何年連作しても「良い作」を作る人がいたりするのは、決して魔法の薬や難しい秘伝の技術を持っているからではなく、施肥の、そして農業の原理原則に忠実なだけなのだ。

 こんな事態を招来させたこれまでの技術指導者や農協や肥料業者たちの責任は重い。彼らはこれまで、農家自らが「なぜ」を考え、農家に土壌の科学や施肥技術の「知識」を普及させるのではなく、農家を無知蒙昧な愚民とみなしてきたためか、常に「答え」だけを「権威」の後矛盾をもって「指導」するばかりであった。また、自ら学ぶことをせず、教えられるままに、あるいは施肥量を増やせば増収すると誤解する農家の無知が、さらに問題を深刻化させてきた。そんな損を農家が引き受けるのは、もう止めにしようではないか。 そして、こうした施肥過剰がもたらす問題は、単に作物が取れなくなるだけではない。すでに、農業は環境破壊の元凶として、社会的批判の対象となりはじめているのだ。我々はそのことにも鈍感であってはならない。 もし、あなたが農業経営者だというのなら、答えを人に求めてはならない。そのためにナゼを問い、答えを出す方法を学び、そして答えは自分で出すのだ。本当の答えは自分以外に出すことができないからだ。答えを人に教えられている限り、農家は、オタメゴカシを聞かされながら、自分で借金をせねばならない「作男」の立場から脱出することはできないからだ。(編集部)

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