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江刺の稲

夢を見ようとしない若者

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第103回 2004年09月01日

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“人に夢を見させないシステム” かつての日本の農業世界を僕はそのように見ていた。だから本誌は“夢を見る”というテーマにこだわってきた。しかし、農業界や取り巻く環境は大きく変化した。そんな時代になってみると、今度は“夢を見ようとしない若者”の姿が目につくようになってしまった。いつの時代にも必ず次代を担う人々はいると思いつつも、少し気になるのだ。
 “人に夢を見させないシステム”

 かつての日本の農業世界を僕はそのように見ていた。だから本誌は“夢を見る”というテーマにこだわってきた。しかし、農業界や取り巻く環境は大きく変化した。そんな時代になってみると、今度は“夢を見ようとしない若者”の姿が目につくようになってしまった。いつの時代にも必ず次代を担う人々はいると思いつつも、少し気になるのだ。

 かつて、僕が出会ってきた農業経営者たちは、考え方や進もうとする方向性は人それぞれであっても、村に生きる個人としての葛藤や改革への意思あるいは事業者としての野心を持つという意味で共通していた。夢見る者であればこそ、農業経営者たろうとすればこそ村や農業界の論理との軋轢に苦しんだ。であればこそ、時代や農業や地域というものを見詰め、問い続ける人々であったのだ。

 しかし、まさに夢見る者たちであった農業経営者の子供たちと出会って感じることがある。

 それは、彼らがいかにも現在に満足しきっているように見えることだ。よく言えば弁えのある青年たちなのであるが、大人しいというか……。その親たちは不器用で行儀も良くなかったかもしれないが、自らの夢にチャレンジする貪欲な精神を持っていた。言ってみれば、後継者達が“夢を見ようとしない若者”であるかのようにみえるのだ。

 親父たちが単に乱暴なだけだったか、その子供たちが豊かさの中で教養や社会的常識を身に付けただけなのかもしれない。しかし、彼らが“唐様に売家と書く三代目”であっては欲しくない。

 本誌は夢を見る者のための雑誌だと思っている。そして、かつてこう書いた。

 「夢」を見るのは誰に頼まれるわけでも、誰のためでもない。自分自身の勝手である。でも、経営者や親にとって、夢を見ることは「義務」であり「責任」なのだ。そして、心を込めて思いこんだ夢は必ず実現する。同時に、成功者とは、人より強く夢見た人であり、何かを一心に思い続けることの出来る人だ」と。

 夢見るがゆえに現実との葛藤に突き当たる。でも、そこに安住することなく、夢を持ち続ける勇気を持つ者が事実を積み重ね新しい時代を作る。人々から「できるはずがない」とからかわれていた人が、夢を実現していく。人生は夢見たものが勝ちなのだ、と。

 後継者たちは、親が困難を克服して創り上げた現在に満足するべきではない。間違っても与えられた安楽さに安住するべきではない。

 実は、君の親たちにとっては、その困難こそが幸運であったと言うべきなのだ。困難に立ち向かえばこその人生だったのだ。きっと、君の親たちは現在の暮らしの満足や与えられる名誉より、夢を持ち続け、困難の中でその実現に向けて挑戦し続けてきたその生き方こそに人生の意味を感じているはずだ。

 君が受け継ぐべきは、親たちが夢を持てる者であったことであり、それゆえにこそ背負った困難に挫けなかった勇気であり誇りなのだ。

 親たちがそうであったように、改革者、創造者であればこそ歴史や誇りを受け継げるのだ。もし君が、ただ今を受け継ぐだけの者であるのなら、それは経営者とは言わず、単なる資産管理人に過ぎないのだと恥じるべきだ。

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