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農業経営者ルポ

損得だけでは頑張れないし先も見えない

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第21回 1997年02月01日

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当時、農業はまだ父の仕事だった。でも石川治男さんは、二十歳になるかならないかの頃から、週のうち数日は完全な徹夜でトラクタに乗っていた。賃耕である。朝は2時、3時から6時まで作業して、飯をかきこんで農協に出勤する。昼間も人を頼んで仕事をさせて、夕方、家に帰ると早飯を食べて11、12時まで畑にいるというのが当たりまえだった。
 当時、農業はまだ父の仕事だった。でも石川治男さんは、二十歳になるかならないかの頃から、週のうち数日は完全な徹夜でトラクタに乗っていた。賃耕である。朝は2時、3時から6時まで作業して、飯をかきこんで農協に出勤する。昼間も人を頼んで仕事をさせて、夕方、家に帰ると早飯を食べて11、12時まで畑にいるというのが当たりまえだった。

 昭和40年代後半の数年間は基盤整備の最盛期で、大きなトラクタを持っていて、その気にさえなれば賃耕の仕事はいくらでもあった。最初は、基盤整備工事の仕上げ作業としてのロータリとプラウ作業だった。

 その後、畑作農家からゴボウの空掘りを請け負うようにもなり、農協を辞めて専業となる。

 さらに現在では、賃耕主体の経営から自分でゴボウを中心とする野菜栽培が経営の主体であり、「紬ごぼう」という石川さんの個人ブランドで市場の高い評価を受けるようになっている。ゴボウの輪作につくるバレイショやニンジン、そしてハクサイ、ダイコン等々。圃場の条件が良ければ栃木、宮城などの100km以上も離れた畑に出作りすることもある。

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