ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

特集

労働力の調達と雇用をどうする?

私のアルバイト体験

 東京で生まれ育った私は今から数年前、学生だった時に、長野のレタス栽培農家に2回、住込みで農業アルバイトをした。1回目は2ヵ月、2回目は半年ほど働かせてもらった。農家で働きたいと思ったのは身体を動かしたかったからだ。頭でっかちになって、肌で何かを感じるということを忘れてしまっている。そんな危機感、うまい飯が喰いたい、元気に排便がしたい、という願望からからである。

 アルバイト情報誌のリゾート欄に掲載されていた農作業は、殆どが長野県、群馬県、北海道だった。北海道の酪農家は最低でも半年、普通は1年以上という条件で学生には無理だった。群馬は日給は高いが労働時間が長かったので長野に決めた。JAが何々村の各農家という表示で募集しているものは顔が見えない気がして、個人の名前で募集をかけているところに決めた。

 農繁期には10人程雇っている農家で、バイトは学生とその他が半々。一人2年目の経験者(40代)がいてバイト仲間を取り仕切っていた。

 出荷作業では切り方、詰め方、運び屋と役割分担がしっかりしていたので、仕事がやりやすかった。朝は多少早くなることもあったがそういう日にはその分だけ早く切り上げる。近所では夜から電気をつけて作業をしているところもあったが、私がいた家はそういう生活リズムを不自然とし、認めなかった。ありがたかった。

 農繁期、出荷が早く終わった家は近所の手伝いに行く。二、三人が朝から行くケースもあった。手伝いに行くときは雇い主の評判を落とさぬよう気をつけた。

 カップルで来る人達は3日と続いた例がなかった。夜来て、飯喰って、風呂入って、朝にはいなかったりするような、どうも無賃宿と勘違いしている人もいた。仕事の最中に、便所に行くといったまま、みんなの財布から金を抜き取って逃げた奴もいた。こういう連中は、始めからどことなくわかるもので、大抵は何かある前にクビになる。

 作業の大半は手作業なので、頭数が多いほど楽かと思ったが、中に一人でもやる気のない者がいると全体的な勢いが失われてしまった。

 私が2回目に行ったときには、事前に友人に誘い話しを持ちかけたりもした。その時だけは行きたがる素振りをするが、実際には誰も行かなかった。通うのならまだしも、と言っていた。一人暮らしの学生には数ヵ月の空白はかなり大きい。

 私と一緒にいたバイトは、学生にしてもフリーターにしても親兄弟や友人と同居していたり、寮に入っていたりする人達だった。

 一日の仕事が終って帰りの道すがら、幾度か駅前で大きな荷物を持ちながら、右も左も分からぬ様にしている若者をかっさらっていく光景を見た。「待ってたよ、何君だっけ、まずこの車に」と鮮やかなものである。少し離れた辺鄙な地域の人らしい。あんな感じではいくら連れていっても逃げられる気もするが。

関連記事

powered by weblio