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【江刺の稲】
農水大臣も善処を約束した貸しはがし事件
- 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
- 第129回 2006年11月01日
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本年3月号で「経営主体無き集落営農を問う」を特集した。集落営農を直接支払いの対象にするという政策への批判。それによる農業経営者の経営被害がテーマであった。今井敏・農水省大臣官房企画評価課長のインタビュー、および2人の経営者のコメントに集落営農の問題点は十分に指摘されている。
3月号は行政や農協からの説明会が始まった段階であった。その後、一部の地域では、集落営農に疑問を呈した経営者(担い手)を排除したまま集落座談会が続けられたようだ。そして秋、農協や村のボスたちが、村の人間関係の力学を利用して地権者たちに集落営農参加のハンコを押させ、農業経営者が意に沿わぬ〝協力〞を求められているとの報告が読者から次々と寄せられてくる。
今月号の現地ルポ「集落営農の犠牲者」はその典型的な事例である。政策の理念にすら反する集落営農組織がどのような形で立ち上げられようとしているかを示している。
伊藤栄喜氏(岩手県北上市)から相談を受け、本誌は秋山記者を現地に派遣。取材が入ることで、また農水省・県関係者への情報提供と善処の依頼によって、問題が終息することを期待した。解決されれば匿名扱いあるいは記事の掲載自体を控えようと考えていた。しかし、11月末に秋播小麦の経営安定対策の申請締切が迫っているにもかかわらず、膠着状態が続いたことから、伊藤氏の了解を得て実名報道とすることにした。
今月の編集長インタビューにおいても、松岡利勝農林水産大臣に対してこのケースを取り上げて善処を依頼し、調査の上でしかるべき対処を指示する旨の回答を得た。今後とも筆者は伊藤氏の現状回復を強く求めていくと共に、同地域の健全な農業発展に協力していくつもりである。
ソ連が崩壊し、中国でも人民公社を廃止せざるを得なかった歴史を我々は知っている。それなのに、何ゆえに今更「集落営農」なのだ?というのが、本誌の基本的立場だ。さらに、集落を守ると言っても、現代の日本は旧ソ連や中国とは比較にならないほどに進化した市場社会である。農協や行政、あるいは地域の顔役たちの思惑だけで、経営主体としての自覚も戦略もない善意の人物を名目的代表者にするような事業体が、市場や顧客の期待に応えることができるのだろうか。困難の中で農業を職業そして事業として取り組んできた農業経営者たちであれば、役人や農協職員たちが考えるほど容易いことではないというであろう。
これは筆者の憶測であるが、松岡大臣を含めて農水省の官僚たちも、集落営農がうまく立ち行かないことなど先刻承知のことなのだと思う。オフレコの会話であれば、「農協組織の圧力がなければ、俺たちだって集落営農なんて問題にしたくはなかった。でも、これが民主主義であり行政というものなのだよ」などと言うのではあるまいか。
担い手への政策の集中により力強い農業を育てようと本当に考えているのなら、早急に集落営農の推進によって生じる既存事業者の経営被害を認定する基準を策定するとともに、その被害にあった経営者を現状回復させるルールを作るべきである。
政策の被害者は農業経営者と、やがて経営破たんするであろう集落営農の構成員になることを無理強いされ、経済的損害を蒙ることになる地権者たちだけではない。こんな政策が出てきてしまったばかりに、幻想に踊らされてその旗振り役をしている人々もまた、被害者なのである。
3月号は行政や農協からの説明会が始まった段階であった。その後、一部の地域では、集落営農に疑問を呈した経営者(担い手)を排除したまま集落座談会が続けられたようだ。そして秋、農協や村のボスたちが、村の人間関係の力学を利用して地権者たちに集落営農参加のハンコを押させ、農業経営者が意に沿わぬ〝協力〞を求められているとの報告が読者から次々と寄せられてくる。
今月号の現地ルポ「集落営農の犠牲者」はその典型的な事例である。政策の理念にすら反する集落営農組織がどのような形で立ち上げられようとしているかを示している。
伊藤栄喜氏(岩手県北上市)から相談を受け、本誌は秋山記者を現地に派遣。取材が入ることで、また農水省・県関係者への情報提供と善処の依頼によって、問題が終息することを期待した。解決されれば匿名扱いあるいは記事の掲載自体を控えようと考えていた。しかし、11月末に秋播小麦の経営安定対策の申請締切が迫っているにもかかわらず、膠着状態が続いたことから、伊藤氏の了解を得て実名報道とすることにした。
今月の編集長インタビューにおいても、松岡利勝農林水産大臣に対してこのケースを取り上げて善処を依頼し、調査の上でしかるべき対処を指示する旨の回答を得た。今後とも筆者は伊藤氏の現状回復を強く求めていくと共に、同地域の健全な農業発展に協力していくつもりである。
ソ連が崩壊し、中国でも人民公社を廃止せざるを得なかった歴史を我々は知っている。それなのに、何ゆえに今更「集落営農」なのだ?というのが、本誌の基本的立場だ。さらに、集落を守ると言っても、現代の日本は旧ソ連や中国とは比較にならないほどに進化した市場社会である。農協や行政、あるいは地域の顔役たちの思惑だけで、経営主体としての自覚も戦略もない善意の人物を名目的代表者にするような事業体が、市場や顧客の期待に応えることができるのだろうか。困難の中で農業を職業そして事業として取り組んできた農業経営者たちであれば、役人や農協職員たちが考えるほど容易いことではないというであろう。
これは筆者の憶測であるが、松岡大臣を含めて農水省の官僚たちも、集落営農がうまく立ち行かないことなど先刻承知のことなのだと思う。オフレコの会話であれば、「農協組織の圧力がなければ、俺たちだって集落営農なんて問題にしたくはなかった。でも、これが民主主義であり行政というものなのだよ」などと言うのではあるまいか。
担い手への政策の集中により力強い農業を育てようと本当に考えているのなら、早急に集落営農の推進によって生じる既存事業者の経営被害を認定する基準を策定するとともに、その被害にあった経営者を現状回復させるルールを作るべきである。
政策の被害者は農業経営者と、やがて経営破たんするであろう集落営農の構成員になることを無理強いされ、経済的損害を蒙ることになる地権者たちだけではない。こんな政策が出てきてしまったばかりに、幻想に踊らされてその旗振り役をしている人々もまた、被害者なのである。
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昆吉則 コンキチノリ
『農業経営者』編集長
農業技術通信社 代表取締役社長
1949年神奈川県生まれ。1984年農業全般をテーマとする編集プロダクション「農業技術通信社」を創業。1993年『農業経営者』創刊。「農業は食べる人のためにある」という理念のもと、農産物のエンドユーザー=消費者のためになる農業技術・商品・経営の情報を発信している。2006年より内閣府規制改革会議農業専門委員。
江刺の稲
「江刺の稲」とは、用排水路に手刺しされ、そのまま育った稲。全く管理されていないこの稲が、手をかけて育てた畦の内側の稲より立派な成長を見せている。「江刺の稲」の存在は、我々に何を教えるのか。土と自然の不思議から農業と経営の可能性を考えたい。
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