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旅の曲者

秋の夜、月を見上げて

 確かに35ミリの広角レンズでは視野が広がる分だけ、遠くにあるものが小さく映るのは仕方ないことだ。それにしても、こんなに小さく縮んでしまうとはがっかりだった。

 そこで今度は50ミリの標準レンズを装着して、再度満月のある光景に挑戦した。一般的に、標準レンズは人間の目とほぼ同じ比率で外界の映像をとらえられる、と言われている。だとすれば、今度こそ、あの美しい月が撮れるはずだ。

 ところが、結果はまたしても同じだった。米粒ではなく大豆くらいの大きさにはなったものの、やはり普段目にしている満月の大きさとは比べるべくもない。おかしい。砂漠でうっとりしながら見たあの大きな月は、ただの錯覚だったというのだろうか。

 そして、あるときたまたま目にした赤瀬川源平さんのエッセイの中で、彼もまた「とてもキレイ」な三日月をカメラで撮り、後で失望するという経験したと書いているのを見つけた。だが、観察力の鋭い赤瀬川さんは、同じ失敗を何度か繰り返した後、ある結論を導き出す。つまり、人間の目はズームレンズのようなものなのだと言うのだ。

 「実際に切符売り場を見ているときは50ミリくらいの標準レンズで見ているのです。無意識に。少し上を仰いで、切符売り場と電柱を一緒に見るときには、35ミリくらいの標準レンズで見ているのです。無意識に。そして電柱の先の空に、あ、キレイな月だなぁと思って月を見ると、135ミリくらいの望遠レンズで見ているのです。無意識に」(『寸角の視線』)

 なるほど、つまり人間は自分と見る対象との距離に応じて、無意識のうちに視覚のズームレンズを伸ばしたり、縮めたりしているというわけである。近くの切符売り場を見るときと、遠くの月を見るときとでは、無意識のうちにズームレンズの倍率を変えているのである。

 ズームレンズの倍率は距離だけではなく、印象の強さによっても左右されるのだろう。砂漠で見上げた満月の印象は強烈だっただけに、おそらく、僕は自分の目に200ミリから300ミリくらいの望遠レンズを当てはめていたのだ。

 生理学的には「見る」という認識活動は網膜と光との相互作用によって行なわれている。けれども、その見たものを印象に位置づけているのは主観という自在なズームレンズなのである。

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