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旅の曲者

バリ島のNさんの場合

最近は「老後を海外で」ということで、定年後の新天地を海外に求める人たちの数が増えている。とくに団塊の世代の大量定年退職にともない、今後、リタイヤ組の海外移住者の数はさらに増えるだろうといわれている。その移住先と目されているのは、マレーシアやインドネシア、タイ、フィリピンなど、比較的物価が安く、日本からも近い東南アジアの国々である。
 最近は「老後を海外で」ということで、定年後の新天地を海外に求める人たちの数が増えている。とくに団塊の世代の大量定年退職にともない、今後、リタイヤ組の海外移住者の数はさらに増えるだろうといわれている。その移住先と目されているのは、マレーシアやインドネシア、タイ、フィリピンなど、比較的物価が安く、日本からも近い東南アジアの国々である。

 一年を通じて温暖で、豊かな自然に恵まれたアジアでの暮らしは、日本で疲れた身体と心を癒すにはもってこいかもしれない。人件費も安いので、ある程度の収入があれば、メイドや運転手も雇える。

 けれども、当然ながら外国に暮らすというからには、それにともなう問題も多々ある。言葉の問題、文化や習慣の違い、経済格差の問題、治安の悪さ、医療水準の低さなど、じつは「老後を海外で」といっても、ことはそれほど簡単ではない。安さと環境だけに惹かれてアジアへの移住を企てるとしたら、それはかなり無謀である。

 ある程度の問題は金で解決可能かもしれない。しかし、文化や習慣への洞察を抜きにしては、当面のトラブルは解決できても、ストレスはたまりつづけるはずだ。癒されるどころか、人間不信と猜疑心にさいなまれ、あげくのはてに金だけだまし取られてしまうというケースは、けっして稀ではない。

 もろちん、それとは逆に、現地の文化や習慣とゆるやかな距離を取りながら、異国での暮らしを愉しんでいる人たちも少なくない。インドネシアのバリ島で紙工芸作家として暮らすNさんも、そのひとりである。

 Nさんがバリ島に住むことを決めたのは45歳のときだった。フリーの編集者だったNさんは、マグロ漁の取材でバリを訪れ、その温暖な気候と、独特の文化に魅せられた。日本の寒さが苦手なうえ、東京での仕事にすっかり消耗していたNさんは、その後、バリへの移住を夢見ながら、インドネシア語を勉強していた。ところが、ある晩、仕事を終えてひとり暮らしの暗いアパートに帰ったとき、得体のしれない吐き気に襲われ、流しに吐きつづけた。これまで心と体に蓄積してきたストレスがもう限界に来ていたことを、彼は悟った。

 思い切りのよい彼は、すぐに行動に移した。仕事を整理し、アパートを引き払い、取るものもとりあえずバリに渡った。あては何もなかった。貯金を食いつぶしながら、バリ島内陸の村のゲストハウスに腰を落ち着け、バリの芸能や絵画を見て回ったりしていた。やがて知り合ったバリ人の画家の質素なアトリエの2階に間借りして、猫を飼いながら、毎日田園風景を眺めつつ暮らすようなシンプルな日々を2~3年、送った。バリ島を訪れたぼくがNさんと知り合ったのは、そのころだった。いまから10年ほど前のことだ。

 リタイヤ組のように潤沢な資金があるわけでもないNさんにとって、生活の不安はつねにつきまとっていた。日本に帰って以前のような仕事をする気はもうなかったし、それができないこともわかっていた。バリで観光業をしたり、レストランを営んだりする日本人居住者もいたが、そうした仕事のルーティーンに入ってしまっては、日本にいるときと変わりがなかった。Nさんは椰子の油から作った現地の石鹸を日本に送ってわずかな収入を得ながら、細々とした生活を続けていた。

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